あのときの青いグローブに祈りを込めて。(向坂くじら『犬ではないと言われた犬』を読んで)
べらぼうに面白かったエッセイ。
1994年生まれの詩人による(と、わざわざ記しているのは、どんな意図が私にあるのだろうか)17篇の書き物に、ずいぶんと魅了された。
「魅了」という言葉を使ったけれど、実にチャーミングな文体(というと語弊があるけれど)なのだ。作者に、どんな記憶と胆力が備わっているのだろうか。
いち読者でありながら、フェンシングで対決するように“間合い”をとりながら、読書にいそしめる楽しさ。そんな読書体験、控えめにいって最強である。
『犬ではないと言われた犬』
(著者:向坂くじら、百万年書房、2024年)
──
犬ではないと言われた犬。
タイトルで思い出したのは、私が中学に入学したての頃。バスケットボール部に入ろうと決めていたのに、なぜか野球部に入部し、入部早々、猛烈に後悔した日々が「久しぶり〜」と蘇ってきた。
野球部なんてのは、小学校までに少年野球に取り組んできたキッズたちが入るところ。もしくは抜群に運動神経が良いか。どちらでもない私は、入部にあたってイトーヨーカドーで親に購入してもらった青いグローブを持って、嬉々として(まだ後悔する前のことだ)グラウンドに足を踏み入れた。
その途端、一個上の怖〜〜〜い先輩(まだ、そいつの名前を憶えているよ)に、「そんなのグローブじゃねえ」と凄まれたのであった。
同じ学年の部員(こいつらも本当に嫌なやつばかりだった)も、口々に私のことを馬鹿にする。「バカ」ではなく、「馬鹿」。彼ら曰く、グローブというのはスポーツ専門店で買わないとダメらしい。私が買ってもらった青いグローブは確かに3,000円と安物で、最低でも10,000円くらいの価格の黒か茶系のグローブを購入すべきであるらしい。
つまり、私が買ってもらった青いグローブは、少なくともこの中学校において「仕様を満たしていない」のだった。親に事情を説明し、すぐに新しいグローブを買ってもらえたが、どこか釈然としない思いを抱えていた。
「グローブではないと言われたグローブ」は、押入れの奥深くにしまわれることになった。もったいない。生をまっとうできなかったグローブに、私は初めて「もの」に対して申し訳ない思いを抱いたと思う。(というのは真っ赤な嘘だが)
*
話は本書に戻るが、向坂さんの文章はどれも、打ち捨てられた(そうになった)物事や、真正面から認められなかった言葉について、あたたかく寄り添うスタンスで語られている。
向坂さんが運営している国語教室で、生徒がこんな作文を書いてきたらしい。
「新幹線でねてたら私の口にじゃがりこを入れてきて、仲良くなった」
友達同士で喧嘩した翌日、このことをきっかけに仲直りしたらしい。ただ、その仲直りの描写が簡潔だったため、思わず向坂さんは「ここで仲直りしたのは、どうして?」と尋ね、後悔したのだと語っている。
私も、たぶん尋ねてしまうだろう。というか、日々、息子に学校の様子を尋ね、彼の“言葉足らず”な回答に、もっともらしい意味づけを試みている日々だ。やりとりによっては、「?」という顔をされるのだが、向坂さんの文章を読んで、ああ、おれもまた、意味や理由を求め過ぎているのかもしれないと気付いた。
*
中学生の私は、先輩や同級生の「常識」の前に屈してしまった。
あの後、私は何度も挫け、野球部を辞めようとした。幸い私は、塾や生徒会といった別のコミュニティに属することができたので、「まあ耐えよう。こいつらはみんな馬鹿で、勉強ができるおれに嫉妬しているに違いない」といった、そこそこ性格の悪い理由を胸に3年間を耐えることができた。(引退後の25年間で、野球部員たちと会ったのは数えるほどしかない)
あの日、私が語りたいと思った言葉は、永遠に霧散してしまっていたかもしれない。向坂さんのエッセイを読んで、「ああ、おれは真剣に腹を立てていたんだな」ということを思い出させてもらった。私の性格の悪さも含めて──いや、これは性格が悪いというよりは怒りに対してピュアであるという証左なのだろう──25年前の悔しさがストンと腑に落ちて良かったと思う。
言えなかったけれど、ようやく言うことができる。
あのときの、野球部の、あいつらは、みんな、馬鹿だった。(自分のことは棚に上げて)
そして、あのとき使い尽くせなかった、あの青いグローブ。もうしばらくキャッチボールなんかしていないけれど、どこかのデパートで3,000円くらいの青いグローブを見かけたら、迷わず購入しよう。
今度は、今度こそ、ボロボロになるまで使い切りたい。グローブではないと言われたグローブにも、ベスト・オブ・マイ・グローブの称号をちゃんと与えなきゃね。
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