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若者の○○離れ、ではなく、若者離れ。

2016年発行の書籍ですが、本書の考え方は今も十分に通用すると感じます。

第1章を執筆している電通・吉田将英さんは次のように記します。

量の影響力の少なさを理由に、社会全体が「高齢者最適化」されていく結果、そもそも若者に対して向き合っているサービスや商品、社会の仕組みが減ってきているといえます。すっかり定着した「若者の○○離れ」というフレーズですが、このような社会の構造から鑑みると、離れていっているのは若者のほうではなく、むしろ大人や社会のほうだと言うことができます。その前提を考慮せずに、「若者が思いどおりに動いてくれない」というもどかしさを、いくら「若者の○○離れ」という言葉で表現したところで、若者側から言わせれば「そもそも僕らのほうを向いていないでしょ?」「離れているのは大人のほうじゃないの!?」という心境ではないでしょうか。
現代の日本社会における「若者と社会の関係性」は、若者の少数化を大きな要因として、「社会の若者離れ」という現象が起きているといえます。これが「なぜ今、若者と対話する必要があるのか」という理由の大前提です。

(吉田将英、奈木れい、小木真、佐藤瞳(2016)『若者離れ 電通が考える未来のためのコミュニケーション術』、エムディエヌコーポレーション、P15〜16より引用、太字は本書より)

「社会の若者離れ」というのは、痛いところを突く言葉だと思いました。

*

そんな感じで本書を読んでいると、タイミング良く(というべきか)、柴那典さんのブログがヒットしました。

マクドナルドのCMで、アジア全域では韓国のNewJeansが起用されているにも関わらず、日本では「温故」的なところにとどまっているというのです。

ちなみにマクドナルド絡みのCMでいうと、今年初めにはPUFFYを起用したクリエイティブも物議を醸しました。「平成バーガー大復活」というのも、同じ流れのように感じます。

批評家をはじめ、多くの方が本件について健全に憂いている中で、以下のツイートのような声もあがります。確かに商業的な結果だけみれば、ツイート投稿者がいうように「平成焼き直し」の方が良いのでしょう。

だけど、もちろん答えは分からないけれど、柴さんが言うように「それで良いのか?」という気分にはなります。

まあ厳密にいえば、『若者離れ』という本と、マクドナルドの新CMは重なるところが少ないかもしれません。でも、僕には何か似たような「におい」を感じてしまいます。

社会の若者離れと、日本が相対的に貧しくなっている現実。

論理はかなり飛躍していますが、この両者はどこか共振しながら、相互に負の影響を与え合っているように感じます。やや悲観的な見方でしょうか。

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ほりそう / 堀 聡太
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