人類は、何を「突破」しなければならないのだろう。(映画「カンダハル 突破せよ」を観て)
11月は個人的に「映画強化月間」にします。
いつもよりもちょっと多めに映画を観て、noteでも鑑賞記録を記していきたいと思います。
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「カンダハル 突破せよ」
(監督:リック・ローマン・ウォー)
イラン国内にスパイとして潜入していたトム・ハリスが、核開発施設の破壊工作に成功することに端を発する脱出劇。
そんなふうに書くと、現実とはかけ離れたアクションムービーをイメージされてしまうだろう。しかし「いったい何が正義なのか」をまっすぐ問う物語で、舞台が中東ということもあり、現在の国際情勢も頭をよぎりながら鑑賞せざるを得ないタイムリーな作品だといえるだろう。
リアルなのは、脚本を手掛けるミッチェル・ラフォーチュンさんの手腕が大きい。というのも彼は、もともとアメリカ国防情報局の職員として、何度もアフガニスタンに派遣された経験を持っている。ある種、戦争のプロパガンダを発信し続けているアメリカにおいて、その真っ只中で仕事をしていた彼が、「どんな眼差しで戦争を眺めていたのか」を実感できるトーン&マナーになっている。
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そして言うまでもなく、監督を務めるリック・ローマン・ウォーさんのディレクションも見事だった。
個人的に印象的だったのは、武器を携える子どもが現れたシーン。主人公たちに追い払われた彼がとぼとぼ歩いていると、パキスタン軍統合情報局(ISI)のエージェント、カヒルに遭遇する。カヒルのミッションは、イランに甚大なる被害をもたらした主人公を生捕りにすること。つまり主人公と同様、自身も暴力を生業にする人間だ。
そんな彼が、子どもに対して「お前はコーランを読んだことがあるのか?」と問う。子どもが首を振ると、「正しさが何か分かってないんだな」とため息をつく。そのまま自身は主人公の命を奪いに向かうのだ。
カヒルの表情をみると、カヒル自身が自分の行為が「正しくない」と気付いている。気付いていながら、生きていくために、あるいは自分の夢を叶えるために人を殺めるのだ(彼の夢は、ガールフレンドと一緒にロンドンやパリで生活することだ)。
本作の魅力は、敵味方入り混じった激しいアクションではあるけれど、短くもドラマを感じるシーンは強く心に刻み込まれた。
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終盤からラストシーンにおいて、誰もが複雑な胸中を抱えながら映画の終わりを迎えるだろう。
ある人は笑顔で、ある人は絶望する。その中間くらいの割り切れない思いで、生活に戻っていく人もいる。そこには、違う立場の人間たちに対する愛憎も混ざっていることだろう。
正しさのためでなく、生き延びるために行動するから、この国はひとつになれないんだ。
主人公と共に行動するモーが、自身の家族の命を奪ったイスマイルに放った言葉は、とても重い。
副題の「突破せよ」というのは、主人公の包囲網のことを指す言葉だ。しかしながら、本当に突破しなければならないのは何なのだろう。
カンダハルという地点をめぐる物語が示す、複雑に絡み合った「事情」の数々に対して、人類はどのように向き合っていかなければならないのだろうか。
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10〜11月にかけて、国内外の注目作品が続々公開されています。
知名度という点では遅れをとっていますが、先日鑑賞した「ザ・クリエイター 創造者」にも引けをとらないクオリティの作品です。中東問題で揺れる昨今、複雑な情勢をキャッチアップする意味でもぜひチェックしてみてください。
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