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“持てる者”へ厳しい眼差し(葉真中顕『ロスト・ケア』を読んで)

2023年に映画化もされた、葉真中顕の『ロスト・ケア』。

べらぼうに面白く、そして哀しく、一気に読んだ。

『ロスト・ケア』
(著者:葉真中顕、光文社文庫、2015年)

──

この先の文章ですが、登場人物は「**」と伏せて表記します。登場人物の記載自体が物語の核心に触れることになるので)

映画化に際して、原作者の葉真中さんは「原作を**と**の対決を中心に据えた人間ドラマにアレンジすることで、核となるテーマを見事に描ききった」と称えている。

僕は、映画未鑑賞なので迂闊なことを言えないが、登場人物すべてに物語があり、それぞれが見事に繋がっていく流れこそ『ロスト・ケア』の面白さではないかと感じた。

介護という問題に端を開いた少子高齢社会。貧富の差は拡大し、“持てる者”と“持たざる者”は明確に二分され、“持たざる者”は努力の甲斐なく地獄に転落してしまう。

筆者は、“持てる者”へ厳しい眼差しを向ける

正義感が強く、検察官という職業に就くキャラクターに対して、他の登場人物をして何度も「偽善者」だと言わしめるのだ。

検事さん、なんて素晴らしい模範解答だ!
生きていてこそ? 善性?
そんなことが言えるあなたは、やっぱり安全地帯にいるんですよ。豪華客船の上から、寄る辺なく溺れる者に命だ善だと説教しているんですよ。素晴らしい、本当に素晴らしい! 僕もできるならそんな立場になりたかった。
もしも死が救いでなく諦めだとしたら、諦めた方がましだというじょうきょうを作っているのは、この世界あなたたちだ!

(葉真中顕(2015)『ロスト・ケア』光文社文庫、P346〜347より引用)

この世界(社会)のことを、わざわざ、本書ではルビにて「あなたたち」と表現してみせた。

あなたたちとは、前述の通り“持てる者”のことだ。“持てる者”が自己責任論の中で「勝ち組」として振る舞い、自分たちに都合の良いルールを作っているというのだ。

この小説では、ルールの中で栄光を極めたベンチャー企業の創業者(明記はされていないが、2000年代に介護業界で「事件」を起こした経営者がモデルになっているのだろう)の転落も描かれている。自業自得のように思われるが、実際は、“持てる者”たちによる排除の末路といえるだろう。誰もかばわなかった。なぜなら、“持てる者”たちが定めたルールは堅持したかったからだ。ルールに目を向けさせない代わりに、特定のひとりをスケープゴートに仕立て上げたのだ。

そういった欺瞞が、続々と明らかになっていく。

*

タイトルの「ロスト・ケア」とは、(要介護度が高く、支える家族の負担となっている高齢者を)殺すことで、高齢者および高齢者の家族を救うことを指す。犯人はそのスタンスのもと、42名を殺害するのだが、「僕がやっていたことは介護です。喪失の介護、『ロスト・ケア』です」と、臆面もなく言い切って見せる。

この言葉だけでも、読者のリアクションは様々だろう。

ほとんどの方が、嫌悪感を抱くだろう。だが少なからず、共感をもって頷く人もいるはずだ。しかし、どんな感想を持ったとしても、そこには“持てる者”と“持たざる者”のインターセクションが垣間見えるのは間違いない。そしてグラデーションの名の下に「考えさせられた」なんてクリシェを許さない切実さも伴っている

なぜなら、今、この瞬間も、介護で「地獄」のような苦しみを味わっている人が存在しているからだ。彼らの中には、相手を「殺したい」と強く思っている人もいるのだ。(もちろん、実際に手をかける人は少ないわけだが)

……だからこそ、結末はとても哀しい。「死刑」という制度がある以上、そこには生き続ける者と、生き続けられない者が存在する。言わずもがな、「生き続ける者」には、生き続けるための葛藤が未来には用意されている、多かれ少なかれ。

もちろん生き続けられない者の最期は、「葛藤」にまみれるかもしれない。だが、それは自己決定の末路ではないはずだ。

「ケア」という言葉が一般化した現在だけれど、その対象に「自分」が含まれることは、あまり想定されていない。自分を守れ、自分をケアせよ。それが十分でなかったら、とことん社会に対して声をあげなければならないし、それは“持てる者”と“持たざる者”それぞれの責務であるはずだ。

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