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「できれば行きたくない」病院にとって、ふさわしいデザインとは?

ホッと寛げる場所がある病院は素敵ですが、デザインの力で日常性を感じさせるのは尚、素晴らしいアイデアだと思います。

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徳島大学病院は、2009年から武蔵野美術大学と連携し、病院内にギャラリー「ホスピタルギャラリーギャラリーbe」を設置している。武蔵野美術大学で教鞭を執るグラフィックデザイナー板東孝明さん、プロダクトデザイナー深澤直人さんがプランニングに携わっている。

主にギャラリーに展示されるのは、武蔵野美術大学基礎デザイン学科に所属する学生の「作品」だ。(注:徳島県在住の作家の作品が展示されることもある)

「針金」「紙」「定規」「鳥」「手」など、特定のテーマが講義課題として与えられる。学生は期限までに作品を作り、坂東さんや深澤さんの指導によりブラッシュアップされた作品が展示されるという流れだ。

学生だからと侮るなかれ。将来を嘱望されているデザイナーの卵だけあって、選抜された作品のレベルの高さは目を見張る。

針金だけで作られたインスタントラーメン、紙で精緻に作られた電源プラグ、定規の概念をアップデートさせるような時計、クリームパン=手という発見……。

言葉にすると分かりづらいが、作品写真を見ると、思わず唸ってしまうような素晴らしい作品がズラリと並ぶ。(ぜひ下記リンク先に飛んでみてほしい)

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前述した課題のテーマは、身の回りにある「ありふれた」ものだ。日常性の高い作品を展示している理由を、深澤さんは以下のように説明する。

病気になったり、怪我をしたときに強く思うのは、「日常がいい」「ふだんの生活が一番大事」ということだろう。「日常」をギャラリーにもってきた理由はここにある。自分が日々営んでいる、当たり前のように通り過ぎる日常の断片を、ある瞬間を美大の学生がさり気なく切り取ってここにもってくれば、それは高いレベルのアートになるはずだ。
(板東孝明、深澤直人、香川征『ホスピタルギャラリー』P33より引用、太字は私)

考えてみれば、病院というのは「できれば行きたくない」場所だ。それでも行かなければならない事情があり、残念なことに代替手段はない。

苦痛を抱えながら待合室での不安に耐える。リハビリはしんどい。混んでいる時間は退屈だ。本人だけでなく、見舞いに来る家族や友人の負担も相当なものだ。

日常を感じさせる「素朴な」デザインが、患者や関係者の気持ちを和らげられるのは、何だか不思議と合点がいく。

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深澤さんは、プロダクトデザインの本質について「ふさわしさ」という言葉を使っている。

深澤:「ふさわしさ」とは、デザイナーが作らなければいけないモノの、周囲との関係のことです。それがうまくいっていることを、僕は「ふさわしい」と呼んでいます。その「ふさわしさ」を知らないと、モノの輪郭線を引くことはできません。言い換えれば、周囲のモノとの関係性があってはじめて、モノの輪郭線を引くことが可能になるということ。これから周囲に存在するであろう環境を予測し、モノにとって「ふさわしい」線を引く。僕が決めたモノの形がたまたま周囲と調和して「ふさわしく」なる、というわけではないのです。
(菅付雅信『これからの教養〜激変する世界を生き抜くための知の11講〜』P256より引用、太字は本書より)

病院にとって「ふさわしい」空間とは何か。

無限にあるアイデアの中から、選ばれた「学生作品を展示するギャラリー」という手段。

それは単純に「面白そう!」という興味本位ではなく、病院という特性やネガティブなイメージを踏まえて、この辺だろうか?という線引きのもと描かれたラインから派生したものなのかもしれない。

デザインが秘める可能性を知ることができる素晴らしい取り組みである。


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ほりそう / 堀 聡太
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