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古市憲寿『平成くん、さようなら』の賞味期限は、間もなく終了する

僅か170ページちょっとの分量で、フィクションとノンフィクションの混在が散りばめられている。

かつて僕のブログでも言及したけれど、古市憲寿さん(以下「古市くん」)は赤の他人とは思えない、同時期に同じ場所で過ごした同世代の人。
希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想』を上梓して以降、若者を代表する社会学者としてメディアに露出するようになったけれど、妻のお義母さんも彼の名前を知っていたことには驚いた。それくらいお茶の間に古市くんという存在が認知されているのだろう。

僕がいる世界から、とても遠いところまで昇りつめた人。

そんな彼と、小説の主人公「平成くん」を重ねるのはあまりに安直なんだけど、古市くんが初めて書いた小説『平成くん、さようなら』を読んで、やっぱり古市くんは天才だなあと感じざるをえなかった。

2019年1月16日に発表される、第160回芥川龍之介賞にノミネートされているけれど、これ獲っちゃうなって思った。古市くん、天才だもん

純文学のことは良く分からないけれど

平成を象徴する人物としてメディアに取り上げられ、現代的な生活を送る「平成くん」は合理的でクール、性的な接触を好まない。だがある日突然、平成の終わりと共に安楽死をしたいと恋人の愛に告げる。
愛はそれを受け入れられないまま、二人は日常の営みを通して、いまの時代に生きていること、死ぬことの意味を問い直していく。なぜ平成くんは死にたいと思ったのか。そして、時代の終わりと共に、平成くんが出した答えとはーー
(古市憲寿『平成くん、さようなら』帯より引用)

僕は純文学というジャンルのことを良く知らない。
だから本作が芥川賞にノミネートされたことをきっかけに「どこが純文学なのか」と指摘されているのを目にしても、何となく批判の全体像が掴めないでいる。それよりはよっぽど「全く感情移入できなかった」「薄且つ視野狭窄的な社会考察本」「感情描写が粗雑すぎ」といった具体的な読者のファクト / 印象を並べてくれた方が納得できる。

「星1つ」の理由には共感できるけれど、それが小説の「面白くなさ」に繋がらないから、小説というフォーマットの奥深さは興味深い。なんでだろう。本作はやたら僕の心を打つのだ

「とにかく最新の人でありたかった」という、平成くんの本音に救われた

UBER Eats、Galaxy Note、iPhoneX、DA PUMP「U.S.A」、Google Home…。きっと平成が終わり、数年も経てばこれらは「過去の遺物」と化すだろう。数年がロングセラーのように感じるほど、コンテンツの賞味期限は年々短くなっている。平成末期に差し掛かるにつれ、そんな儚さを小説というフォーマットにさりげなく乗せたところに古市くんの技がある。

でも、僕が『平成くん、さようなら』における最大の魅力は、登場人物の「本音」が垣間見えることだと思う。
「本音」って、普段生活しているとなかなか見せないもの。いくら恋人同士だったとしても「本音」をぶつけ合うのはなかなかリスクがある。リスクヘッジが最重要な平成末期に、この試みは矛盾していると言えば矛盾しているんだけど、垣間見える「本音」の応酬にココロオドルのが読者としての僕だった。

「とにかく最新の人でありたかった」
「なんで君はこんな聡明なのに、普通の人がどう考えるのかを想像できないの?」
「子どもを作って、一緒に育てたら楽しいだろうなって、そんな平凡極まりない未来に憧れもしたんだよ」

全部、本音だ。
本音はあまりに剥き出しで、傷つきやすいものだから、そのまま露出するとあまりにリスクが大きいのに。本作では本音を隠さない。

この作品は小説じゃなくて、古市くんが常日頃考えていることを、小説というフォーマットに乗せて発信したものに過ぎないと指摘した人もいる。確かにそうだとも言えるけれど、そうでないとも言えそうだ。結局それは古市くんの頭の中にあるわけで、それを想像させるだけでもフィクションとして大成功と言えるんじゃないだろうか。

『平成くん、さようなら』の賞味期限は、間もなく終了する

タイトルにもした賞味期限の話。
僕も小説を書く人間だから、小説を書く人の気持ちをちょっとは理解できる(という前提に立っている。半ば勝手に)。小説家は自分の小説をめちゃくちゃ愛していて、長く深く読者に消費されたいと願っている / 期待しているはずで。

そんな中で古市くんの『平成くん、さようなら』は、そんな前提に立っていることが間違っていると言わんばかりの刹那を感じる。
新しい年号に変わり、5年もしたら、書いてある内容は古くなってしまう。
新しい年号がもう一巡したら、いよいよ平成のことなんて誰も語らない。僕たちが大正時代のことをあんまり語らないように。

『平成くん、さようなら』は、平成くんと平成と同様に賞味期限を迎え、やがて忘却されていく。古市くんは「それでも構わない」と言うだろう。

改めて言いたい。
古市くんは天才だ。

蛇足。

佐藤玲さんを表紙のモデルにするという発想も天才だと思う(それが古市くんのアイデアではなかったとしても)。古市くんのチームは天才集団かと。
佐藤玲さんが「愛」の役を担う映画が公開されるとしたら、多分僕は公開初日に観に行く。と思う。


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