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【第4回】イラン核合意再建交渉の行方とアイデン政権.2022/6/19
前回は、英国の首相ボリスジョンソンが首相の座に居座り続け、なんとか首の皮い一枚繋がったというブログをお届けした。
このブログも常に、筆者の継続意欲が首の皮一枚の状況だが、今回もなんとか書き上げることができた。
今回は、筆者の中東についてお届けしたい。イラン核合意だ。
イラン核合意は歴史的な合意だ。
米国政権はかねてより、共和党政権であれ民主党政権であれ、イランに対しては強硬的な対応を示してきた。
しかし、米国のオバマ大統領はイランに対し融和的な人物だった。
「核なき世界」を掲げたオバマは2015年に、イランに課していた経済制裁を解く代わりに、イランの核兵器開発活動(イラン側は平和的利用と主張)の規制とIAEAによる査察を受け入れることに合意した「包括的共同行動計画(Joint Comprehensive Action of plan)」、いわゆるイラン核合意を成立させた。
しかし、米国、イラン、ドイツ、フランス、イギリス、中国、ロシアを巻き込んだイラン核合意は、2018年にトランプ前大統領が全当事国の反対意見を押し切って一方的に離脱したことで崩壊した。
トランプ前大統領は「maximum pressure(最大限の圧力)」としてイランに経済制裁を課した。イランもそれに反発して、核兵器開発活動を再開。
イランにとって不幸だったのは、ヨーロッパの3国が米国の理不尽な離脱に対し抵抗を示さなかったことだ。
その後、合意を結んだオバマ政権で副大統領を務めたバイデンが米大統領に就任した。
核合意復帰を公約として掲げていたバイデンは、2021年4月に核合意を復活させるため、イランのロウハニ政権と協議を開始した。
両政権の間で、2021年6月までに6回の間接交渉を積み重ねていた。
しかし、イランでも政権交代が起きる。
反米保守強硬派と称されるイブラヒム・ライーシが大統領に就任し、核合意再建交渉を中断した。
核合意再建交渉をストップしたライーシだが、ヨーロッパなどの仲介もあり、2021年11月29日から交渉の席に戻り、第7回目協議が始まった。
しかし、イランは一方的に離脱した米国と直接交渉する義理はないとして直接交渉を拒んだ。
その結果、議長役のEU、ドイツ、フランス、イギリス、中国、ロシアがイラン、米国それぞれと会談し、伝書鳩のようにお互いの会談内容を伝える時間を要する協議となった。
さらに、この交渉の1番の難題は、「時間がない」ということである。
交渉中もイランはウラン濃縮を続けていた。
そのため、核兵器1個分の高濃縮ウラン(約90%)を入手するまでの時間(ブレークアウトタイム)が、数ヶ月であることから、その前までに決着させなくてはならなかった。(イラン側は再建交渉が失敗してもウラン濃縮を60%以上にあげないことをほのめかす)。
2022年2月、ロシアによるウクライナ侵攻が起き世界のニュースはウクライナ戦争一色になってしまった。
その後も交渉は続けられているとのことだが、時間もリソースも割く時間がないのが現状だろう。
バイデン大統領はイラン核合意の再建を公約に掲げながらも、着手したのは就任から4ヶ月後の2021年4月であった。就任早々に着手していれば結果は変わっていたかもしれない、と考えるとなんとも言えない思いだ。しかしながら、就任直後のバイデン大統領はこの問題に時間を割く時間などなかったのが実情だったのかもしれない。急激なインフレ、それに伴う物価の高騰、トランプ政権時に拗れた世界各国との関係回復等、アメリカ国内問題が山積みだったのであろう。