さみしいという感情とは
お盆休み、お休みの方もいる中、お仕事されている方もいらっしゃると思います。
お疲れ様です。
スーパーや飲食店などに行くと、この人たちが働いてくれているから買い物や外食が出来るんだなぁとありがたく思っています。
ありがとうございます。
うちの家族は休みです。
県外で働いている娘も休みです。
が、帰省しません。
ゴールデンウィークにも帰省しなかったので、成人式以来帰って来てませんし、会っていません。
このような大型連休の時などは、会社や知り合い、周りの人などから「娘ちゃんは帰って来るの?」と聞かれます。
「帰って来ないです」と言うと、決まって「それは寂しいねぇ」という言葉が返ってきます。
私はその言葉に共感できず、少し戸惑いを覚えるのです。
「そうなの。寂しいんです」とは言えない自分がいるからです。
私の中で、あまり寂しいという感情はないのか、娘が帰って来ないことに悲しいとか寂しいという気持ちは出てこないのです。
そして、薄情な母という私が浮き彫りになり、寂しいと思えない自分に、ほんの少し苦しい気持ちになるのです。
ほんの少しです。
チラッとだけです。
ほとんどが「へぇ、みなさんは寂しいんだなぁ」と思うくらい。
人それぞれだし…みたいにすぐ切り替えてしまうので。
ホントほんの少しね。
私、寂しいという感情どっかにやってしまったのかな?と思ってしまうんです。
以前書いたこちらの記事
この時、急に泣けてきたことは自分自身びっくりしましたが、こういうことはほとんど起きません。
この記事にも書いてますが、私は基本的に娘や息子に対してムツゴロウさんのようなことはしないんです。
つまり、よーしよしよしとか、べろんべろんとか、ハグとかしません。
愛情表現をムツゴロウさんのようにしないし、出来ないみたいなんです。
ベタベタされると鳥肌が立ってしまう性質なので、子どもたちがスリスリしてくると「やめてぇ〜」と言ってしまうほど…💧
酷い母なんです。
子どもたちは私の鳥肌を見て、笑いながら「酷い〜‼️」と言ってからかってきますが…。
内心傷ついているのかもしれません。
『千と千尋の神隠し』の冒頭、トンネルの中で千尋がお母さんにくっついてお母さんが「千尋、あまり引っ付かないで。歩きにくいわ」っていうやつ、あれの気持ちがめちゃくちゃよくわかるのです。
あれが冷たすぎとかいう論争があり、なぜあんなに冷たいのか…とか言われてますが、ここにもいますよー、普通ですよーって思います。
昔買い物に行くと娘が腕にくっついてくることがあり、娘もそのセリフ待ちをするので、よくそのセリフを言ってたりしてましたね。
内心、本音だったりしました。
先日、娘と同い年の子を持つ友達と話をした時に「今年のお盆帰って来ないの」と、その友達が言っていました。とても寂しそうに。
私が「うちもだよ」と言うと「寂しいよねぇ」と。
あ、出た。どうしよう…と言うのが私の本音…。
まぁ、けど私のことを理解してくれている友達なので「私は寂しいとかないのよ。むしろ帰って来ないくらいあっちの生活が充実してるなら、嬉しくて」と言うと「あぁ、そうか、そうだよね」と、理解してもらえました。
ただその友達は「私は寂しくてねぇ」「ギューって、ハグしたいし」と、ムツゴロウさんになりたがってました。
そういうふうに愛情表現出来る彼女を私はどこかで羨ましい気持ちにもなり、チクッとなるのです。
こういうことは昔からよくあり、子どもたちが小さい頃私は、アメジストのパワーストーンを持つこともありました。
自分の中に足りない『慈悲の心』が欲しくて。
まぁ、石を持っただけでそうなるなんてことないのは分かっています。
が、何かの力を借りてでも子どもを可愛い可愛いと出来るようなお母さんになりたかったんだと思います。
その友達は、「LINEしても既読スルーだし、やっと返信してきたと思えば『うん』『わかった』とかの短い返事だし」と話を続けていました。
あぁ、LINEもそんなになかったら、私も寂しいとか思うかもな…とはちょっと思いました。
うちは、ハグはしないけど、LINEのやり取りは結構ある。
内容はくだらないことがほとんどだけど。
この間ダンナが「あいつは(娘)ちゃんと貯金してるのか?」と私に聞いてきました。
「え?知らない」と答えると「はぁ⁉️しょっちゅうLINEしてるのに、そんなことも知らないのか⁉️いったいどんな話をしてるんだ」と言われました。
え?母親って、娘が貯金してるかどうかのチェックをLINEでするものなの⁉️
…ちょっと私には出来ないし、やるつもりもないのでスルーしました。
そのくらい私は母親としての自覚が足りないし、くだらないことしかやり取りしてないんです。
あ、けど最近は娘が料理のことを聞いてくるのでそれに関しては答えてますよ。テキトーですが。
私は娘と離れることによって、娘のことが前よりわかるようになり、近くなった気がするんですね。
おお、娘はこんな風に考えてたんだとか、こんなことに興味があるんだ、こんなことを頑張っているんだとかわかるようになったんです。
LINEなんて文字だけだから、都合のいいことしかお互い書いたりしてないのかもしれないけど、私は娘のことが冷静に見られるようになったんだと思います。
私は、娘がそばにいるとイライラが強くなり、娘を応援するどころか、縛ってしまう言動をとってしまいがちでした。
もちろん根っこは娘を応援したいし、縛ってるつもりはないんだけど、日々の生活の様子を見ていると、最後まで娘の話を聞くのはなかなか出来ず、口出ししたくなる場面も多く、心配やら、何やら浮かんでしまって、娘が欲しくない言葉を発してしまいがち。
なので、やっぱりこの離れている娘との距離感は私にとってちょうどいいんだと思うんです。
娘も離れているからこそ、私に言いやすくなったとも思いますし。
この間、ダンナのお母さんから電話が来ました。
お盆に来ないから電話した…みたいな感じで。
話をしてたら娘が来ないことをひどく寂しがっているようだった。
私にも「寂しいがぁーねぇ(寂しいよねぇ)」と、同意を求めてきた。
まぁ、適当に「そうだね」と言い「けど、帰って来れないくらい友達と遊んだりしてて、楽しそうだから、いいんだ。今が1番楽しい時期なんだし」と言った。
まぁ、ばあば(ダンナの母)からしたら次いつ会えるのか…あと何回会えるのか(これって失礼なのかな?ごめんなさい)と思えば、貴重な一回に、会えないとなると寂しさはより一層強くなるのかもしれないと考えると、わからなくもないけど…。
帰っても来ないで、アパートに1人こもっているのなら、ちょっとそれはさすがに心配になるし、それなら帰って来いよって思うけど、友達と遊んだりしてるみたいだし。
それはそれで嬉しくて、幸せなことだなぁって思っている。
だから、ばあばさんごめんね。
娘の幸せを優先させてあげてね。
と、心の中で思っていた。
そもそも『寂しい』というのはなんなのだろうか?
ふむふむ。
あるべきものが欠けていて、物足りない、物悲しい気持ち…かぁ。
なるほど。
ん?家族になかなか会えなくてさみしいは『淋しい』‼️
こっちの字を書くのか⁉️
あ、『淋しい熱帯魚』ってWinkも言ってたな。
では、今から『淋しい』コチラに切り替えます。
友達は、あるべきものが欠けている…つまり、娘がいるということが当然で、欠けている…つまりいないから寂しいと感じるのか…。物足りないと感じるのか…。そうなのか。
と、いうことは、私は娘がいるということは当然ではなく、この状態が欠けているものではなく、物足りないとも思っていないということになる。
ふむ。
これは、娘に限ったことではない。
実父が亡くなった時も私はあまり淋しさを感じなかった。
もちろん、全くないわけではなく、亡くなった時は泣いたし、葬儀の時なども泣いた。
けれど、必要以上に淋しいと感じたり、いつまでも引きずったりはしなかった。
それも私の中で父がいるというのが当然ではなく、父がいない状態が欠けているというものではなく、物足りないとも思わなかったということになる。
少し合っているようで、少し違う気がする。
人の寿命は決まっているし、死というものは必ずしも悲しくて永遠の別れではないという思いもあるからかもしれない。
死は、この世の卒業だ。
修行を終え帰ることだ。
行かないで、悲しいよ、淋しいよ…というのは、旅立ちを邪魔していることになる。
私はそういうふうにも思う。
その時は淋しさを感じて悲しくなることもあるけれど、長く悲しい気持ちでいることは、新たな生活を応援出来ずにいることになってしまう。
んー、自分の中に『淋しい』という感情が欠けていることに対しての言い訳かな…❓
淋しい感情がなくて、寂しい…そんなおばさんの独り言でした。
最後までお読みいただきありがとうございます😊
幸せをありがとう💖
応援をありがとう🥰
うちなる平和を💕
シュカポン🐼