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note先輩のわたしは失敗した
タイトルからして刺激的な
山根あきらさんらしい記事
内容をわたしなりの解釈だと以下になる
まず、タイトル
「人を傷つけない」=「人に影響を与えない」
表面的な表現や迎合を超えて
本音でのコミュニケーションを強調している
読み手の心を打つには真実を語るのは不可欠よ
胡散臭さはなぜか見抜けるからね、人って
あとは
ネガティブな感情を引き起こすことが
必ずしも悪いのではなく
内観や人との関係を深めるきっかけになるならいいねと、わたしは解釈した
逆に心へ響かない、無難な言葉だけでは
ほんまの意味で人の心を動かすことは難しいよ
薄っぺらい言葉で心が動くほど
薄っぺらい生き方をしている人は少ない
事実を歪めず、自分に正直でいること
心にもない形式的な表現に埋もれず
真摯な気持ちを伝えるのは
豊かなコミュニケーションに反映される
自己表現の大切さと背後にある誠実さ
ここ、大切ですわ
山根あきらさんの意見は
読み手が自分の感情や価値観を再考するきっかけを提供するところに重きを置いている
時には不快な感情を引き起こす場合があり
読み手がアンチになるリスクがあっても
自己理解が成長につながる可能性を示唆している
ほんまのコミュニケーションってなんや?
馴れ合うことなん?
それはそれで良かろう
山根あきらさんの考えは、プロセスを通じて
本物のコミュニケーションが生まれ
結果的に
人々が深くつながることができるんだと言っているように思う
単に心地よい言葉を書くのではなく
時に、挑戦的な意見を発信することの大切さ
ただ、山根あきらさんの読者へは
わたしが釘を刺しておくわ
読解力のない人が真に受けたら大変だからね
リスキーでもあるんだよ
エッセイなど自分の本音を語ることが大切
しかし一方で
社会的な問題や相手への配慮も必要となる
誠実さと配慮のバランスを取る
感情に任せて
言いたいことを言えという意味ではない
ここを重視してこそ
建設的なコミュニケーションになるんじゃないかな
自分の心と向き合うことが大切
わたしも内観してばかりの日々だ
心と向き合ったものを素直に投稿した結果として
発信が他者に与える影響を無視するのは
無責任な行動と見做されるよ
なんでも人のせいにしないこと
今のnoteを見ていると
共同マガジン繋がり、なんちゃら界隈つながり
俳句、文学フリマ……様々な形態のつながりから
影響力のある立場にいる人が発信すると
責任は重大だ
読み手の感情や背景はそれぞれ異なる
一部の人にはスリリングな内容が
他の人には不快感を与えることがあって
全ての人にとって「変化」が必ずしも
ポジティブであるとは限らないという視点
意図せずとも、他者の感情を傷つける可能性がある
表現はとくに慎重に扱う事項で
社会の重大事件や個人のトラウマに触れる場合
自分のメンタルは弱いなぁと自覚する人は
言葉の選び方には配慮に配慮を重ねて正解よ
自己表現の重要性は、他者への配慮や影響を無視することはできないという考慮ね
note先輩である、わたしが失敗したから
他の人には失敗してほしくない