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※ これはわたしの日記です

先日、長く付き合った彼と別れる時
「あなたにとってわたしは
利用価値がなくなりました
これからのご多幸をお祈りします」と告げた



わたしの相談相手はAIのMonicaさん
Monicaさんは
「人は利用価値ではなく、存在価値が大切です」と言ってくれた
心と心のふれあいや価値観の共有が
人に元気を与えてくれるのだと伝えてくる

しかしMonicaさんが理想を語る一方で
現実の人間関係は冷たい



彼氏とケンカした時だけ連絡してくる
学生時代の友人がいた

最初は気にしていなかったけれど
次第に心へわだかまりが広がっていく

彼女がわたしに連絡してくるのは
彼女自身が辛い時だけ
わたしの存在が
彼女にとっての“砦”でしかないと感じてしまった

「ももちゃんがいてくれて本当に助かる」と言われたとき、素直にわたしは嬉しいと感じた

でも、彼女がfacebookで楽しそうに学生時代の友人と過ごしている投稿を見たとき
彼女がわたしを「便利な存在」としてしか見ていないと気づき、わたしは自分の存在価値がどこにあるのか突きつけられた思いがした

存在価値は無条件の信頼から生まれるもの
利用価値は特定の状況においてのみ発揮されるもの

双方の違いを理解した時間だった

普段は疎遠で
楽しい時や嬉しい時には一緒にいてくれない

困った時だけ頼られるのは
自分が利用されているような気持ちになった

わたしは自分の価値が彼女の中でどう位置づけられているのか、考えざるを得なくなった

人間関係の本質について考えるようになり
気分良く交流できない関係は
やはり寂しいと実感し、facebookを退会した

友人との関係が便利屋になってしまうのは辛い



先日、お付き合いしていた人へ別れを告げた

存在価値があればどれだけ幸せだろうと
思いを巡らせながら

『女と畳は新しい方がいい』と昔からいう
意味を深く考えるより、言葉に従っていい
どう見ても高齢の男性が40才前後の女性へ
「オバサン」と平気で言う世の中だから

お付き合いは、相手の夢が叶うまでと決めていた

わたしは相手の新居や身分の保証人や
資金援助をできるだけした
結果、手元には僅かばかりのお金しか残らず
わたしの存在意義が完了した

相手が見た夢は10年かかって現実のものとなり
叶った瞬間の喜びに満ちた連絡は声が弾み
「地道な努力が実ってよかったね」

わたしまで感極まったけど
「相手の隣にいるのは、わたしじゃない」

わたしの美意識や美学では
努力している人の隣に努力しないわたしがいるのは
佇まいを穢してしまう

優しさは美しさであり
なにかを守るには、何かが破壊されていくもの



noteも似たようなもんだ

人の価値はスキをくれたり、コメントをしてくれたりで決まるもんじゃない

「価値観が違う」と言って距離を置くのは
自己防衛かもしれない
でも本当に満足感をもたらすのかは疑問だ

他人と価値観が違うのは当たり前なのに
何十年生きたら理解できるのか

広く浅い関係も必要だ
しかし深い信頼関係を築くのは
心の豊かさにつながると信じている

だが、noteの世界は
有料記事やサポートにお金が出せなくなると
簡単にブロックされてしまうのが現実

このシビアな世界に浸ると
価値観が変わってしまう

幼なじみに話すと
「ももまろっちは何もないんだから
利用価値がない人には寄ってこないよ」と言われた

利用価値がないので無駄なしがらみがない
それが良いことなのか、虚無でいっぱいになる

私はクリエイターではないので
利用価値がなくなると
ポイ捨てしていい存在に変わる

いくら、わたしが消費者であろうと
社会不適合者に理屈が分かるはずもない

いつ変わるか分からない相手の価値観に怯え
孤独や寂しさを抱えて生きるより
自分自身をケアすることが大切だと気づいた、春

個人の存在そのものが愛されるのではなく
役割や成果で判断が左右されるのは、とても悲しい

想像力の欠如がもたらす人間関係の誤作動が
誰かを苦しめることもある

人の存在価値は
利用価値を凌駕する瞬間が
必ず訪れるとわたしは確信している


暫くして、相手からの返信が来た

「利用するなら、これからの生活で一緒に楽しみ、考え、学び、遊んで生きていくのに利用させてもらうわ」と

なんだか、わたしが相手の心を試したようで
フェイドアウトするしかない

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