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hidemaro2005
雑記: 無意識の比較社会
たまに
「どこへ根拠があるんだろう」と不思議なことへ
対面するときがあり
「もしかすると、この人は
自分と相手が同じ価値観を持っていると信じて疑わないのかな」
話を聞きながら
「まあ、そういう人もいるか」受け流す。
いつの頃か『マウント』というワードが幅広く使われるようになった。
自分としては当たり前のことを
「マウント取ってる」冷やかすように大騒ぎされると
「これがこの人のコンプレックスなんだ」
解釈するようになった。
うちは田舎の一軒家で庭もある。
大都会の事情も分かっているつもりだが、
田舎はタワーマンションが珍しいと感じるほど、
田舎の一軒家はデフォルトだ。
優越感や自慢にならないものへ説明として
「田舎の一軒家です」と話して
「うわぁ、マウントされた」
田舎の背景を想像できないのかな、
話が噛み合わないなぁと思う。
逆に
「見て!ダイヤの指輪が綺麗でしょ」
自分の好みは色が混在するオパールがいいなら、
ダイヤモンドへ魅力を感じないのに、リアクションが少ないと
「あなたはダイヤの指輪を持ってないから僻んでいるんでしょ」
上記のマウントと騒ぐ人と
下記の僻みと言い出す人は、
同一人物である可能性が高く、誰かと比較する無意識が常態化し、言葉へ出るんだろうなぁと、
わたしなりに無根拠な理解をしている。
ほんの些細なことへ思考を深めて、より良いコミニュケーションや関係性が築けたらいいなと思い、雑記を書いた。