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寛容が不寛容を許し、苦しめる

 初めての、新春早々の悲しみ。
毎日twitterを読んではクスクス笑うわたしの楽しみが『退会』なさった。

 癒えない傷口から化膿した黄色い体液がガーゼで拭っても抑えても止まらないのに似て、この悲しみを人に知ってもらいたくてnoteに書く。

どれだけショックか、聞いてもらいたい。



 kさんという、twitterの人気者が退会した。
kさんはそれまでも炎上し、年末にも炎上した。

 娘さんとの日常へ、文句で絡む人たちが
「我こそは正しい」を押しつける。
表現の自由があるから、距離感ナシさんは意見を押しつける。

 前回の炎上では、kさんは謝罪を求められた。
謝罪だよ、謝罪。
kさんは「死んでほしい」とまで書かれてしまった。

娘が「どんな髪型にしよっかな」とぼやいていたので「こんなのどうかな…えっと…」と画像を検索していたら「見せなくていいよ。どうせ一万円札の人とかスラムダンクのゴリとか見せてくるんでしょ」と言われた。順当に成長していて父親として誇らしい
— kさん September 7, 2024

kさん 2024年9月7日のツイートより

 なぜkさんは家庭での出来事をツイートして、
他人へ謝罪しなければいけないのか、死んでほしいとまで言われたのか、わたしには理解できない。

 kさんの代わりに、わたしが
「アナタって何の被害者?」と聞きたかった。



 そこでわたしは、kさんのツイートへ異論や反論があるかたを2人、取材させていただいた。

 まず、共通した意見は
「娘さんが可哀想」
「ウザ絡みはハラスメントであり、虐待」

 わたしのような鈍感な人間はどこが可哀想なのか分からなかったが、彼女達の話を聞いていると自身の過去を重ね合わせたり、行間を読み過ぎた思い込みであったりと、恐らく繊細な心の持ち主なのだろう。デリケートが故に考え過ぎてしまう。

 話へ耳を傾けると、個人的な解決しない問題や不満が蓄積されており、彼女達は誰かへ八つ当たりしないと吐け口がないように感じた。

「へぇ」で終わるツイートはこうして炎上し、自分が親から謝ってもらえなかったのをkさんへ謝罪を求めたのだと推察した。



 さて、ここまでで何が厄介かと言うと
言論の自由であるし、自他境界がない人もだし
寛容のパラドックスが発生しているのが厄介だ。

 寛容のパラドックスを簡単に説明すると
「寛容でいることが、
実は不寛容を許すことになるかもしれない」という考え方。

 では寛容とは何か。
「他の人の意見や行動を受け入れること。
例えば友達が自分と違う考えを持っていても、
友達の考えを尊重すること」

 ネットでのパラドックスの例は、
誰かが人を傷つけるコメントをしていて、
その言動をみんなが受け入れてしまうと、攻撃的な人がもっと激しくなってしまうかもしれない。

 よって寛容な在り方が、実際には攻撃的な意見を広める手助けをしてしまうことがある。

 寛容と不寛容のバランスを取ることが大切で、
寛容でいることは大事だけど、攻撃的な意見や行動を許してしまうと、他の人が傷つくこともある。

 周りが心地よく過ごせるように、意見を尊重しつつも、悪い言動には反対することが必要になる。
noteで多くのかたがコメント欄での在り方を記事にしているのが、これに当たる。



 寛容であるのは非常によろしい。
そうだ、人様へは寛容に。多様性だからね。
しかし寛容になる種類が味噌クソで、エコーチェンバーがかかり、クソを助長する異状が発生する。

 結果的にクソが発言権を行使して、様々な爪痕を残して歩く結果になる。



 頭の中で考えることはいいんですよ。
妄想でも空想でも、どうぞ頭の中ではご自由に。

 だけど、深く考える事へアンチノミーとジレンマが存在して、深く考えても仕方ないことが、
他人を変えようとする起爆剤になり、他人へ攻撃的になる。
だからネットストーカーだって攻撃なんだよ。



 実社会では他人へいちいち自分の意見を押しつけないでしょう。
基本は、人は人であり自分は自分。

 自分のことも他人のことも深く考えると疲れちゃうので、心の中は
「まあ、そういうのもあるかぁ」受け流す。

 わたし自身が完璧な人間になれるわけもなく、
完璧な人になる気がなく、完璧な人間が好きかと問われたら「それはない」

 欠点のある人間の方が、お互い様の精神と
わたしが居心地よいので好きだなぁと思うし、
人様にとってもほどほどの“ももまろ”が
付き合いやすいからなぁと考えてみたり。

「周囲へ疲弊するほど気を遣い、
完璧にやらなきゃ、迷惑かけるかも」
そんなときもありました、ありましたよ。
だけどこの考え方は既に止めちゃったよ。

 わたしが人様から過度な気遣いをされて、過剰に頑張られて、心をすり減らされると
「この人、すごく重い」って逃げたくなる。

 だってさ、自分に課す人は他人を許さない人になるんだもん。
「自分はこんなに頑張ってるのに、人はずるい」とばかりに、聞きたくないアドバイスをされたり、不要な批難をされたりする。

 それでね、kさんのような娘さんとの和気藹々とした家庭が許せなくなり、絡んで正そうとするのよ。
kさんへ謎の謝罪を求めるようになるんだって。



 Kさんのツイートは、くだらないオヤジギャグがいっぱいで、私たち中年にはオアシスみたいな存在だった。そんなオアシスが、今はもうない。

 どうして人のオアシスを奪うの?

 大好きだったKさんがいなくなり、彼のことや不要な批判について考えたことをここにまとめたよ。

 同じ悲しみを持つかたの記事を、
こちらで共有させていただきます。


       ワタナベアニさん

いつも画像をはじめとして、
見かけるたびに一部保存させてもらっています。
ありがとうございます。
映画『あんのこと』をご覧になられて、
私も観ました!と嬉しかったです。

業務連絡へ便乗させてください。

kさん、あのスーパーやこのスーパー
また一緒に笑い合える日が来ますように。

#ワタナベアニさん

#小牧幸助さん
#シロクマ文芸部

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