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短編: 紙の黒い付箋

 この付箋を貼れば必ず不幸になる。
手元にある黒の付箋は減ることがなく、悪魔は気まぐれにすれ違う人の背中へ貼っていく。

 悪魔は人間だった頃、無関心な社会に見捨てられ、孤独と絶望で腐り果てたのち、他者の不幸を楽しむようになった。

 朝の混み合う駅で、傘を真横に持つ男の背中に貼りつけたり、長蛇の列に割り込む女へ貼ったり、なるべく悪魔は罪悪感のないよう、人としてどうかと思う人間に付箋を貼る。

 悪魔は付箋を貼った人の未来まで見越せない。
紙の付箋だからいつまでも背中に着いているものではなく、いつかは自然と剥がれていくので、悪魔は思うままに貼っていく。

 
 昼下がりのコンビニで悪魔はおにぎりを持ってレジに並んでいた。
何気なく店内を見渡すと少女がパンをバッグに入れて素知らぬ顔でコンビニを出る。

 悪魔はレジで支払いを済ませ、少女の後を追う。
少女はなぜか悪魔に気がつき駆けり出し、廃墟ビルへ身を隠した。

「軽率だな」
 悪魔は鼻で笑い、ゆっくりした歩調で少女の後を追いビルへ入って行く。

 少女の行き先を追う悪魔。しかしビルの奥に進むと害虫が通路を塞いでいた。悪臭が鼻をつき、小声が耳に響いた。

 悪魔は鍵のない、事務所の扉を僅かに開けると、ゴミの山で少女を含めた3人の子どもが少量の食糧を分け合っている。
 かつて悪魔が貧困国で見た光景を彷彿する場面が豊かな日本で、こんな都会にあるとは思わなかった。

 貧困国は付箋などを使わなくとも、大勢の人が不幸になっていく様を目の当たりにした悪魔は、手の中にある黒い付箋を恨めしく思った。

 
 日が暮れて、少女たちが眠ったのを見計らい、悪魔は少女たちの頬へ手を当てる。
 少女たちの親は旅行に行くと告げて帰って来ず、家賃などが払えないまま、アパートの大家は少女たちを追い出してしまった。

 悪魔はその事実を知り、魂が砕け、破片が胸を刺すような痛みに襲われる。
廃墟になったビルの一室を棲み家にするこの子たちへ自分に何ができるのか考えた。


「ごめんよ」
 黒い付箋を悪魔は少女たちに貼っていく。
悪魔の目や鼻は激流のような涙や鼻水で、何度も「ごめん」とつぶやく。

 そうして眠っている少女たちへ深々と頭を下げ、悪魔は人の中へ消えていった。

 翌日、少女が万引きしているのを現行犯で取り押さえられた。
 芋づる式に少女の妹たちの棲み家が発見され、
少女たちを捨てた親は逮捕される事態へ陥った。

 自由がなくなった少女たちは警察官など大人へ抵抗していたが、やがて児童相談所へ送られて施設に保護されたとニュースが大きく報じた。

 信号待ちをしている悪魔はそれをビルにある大きなモニターへ顔を向け、聴いている。
 黒い付箋を握り締め、微笑みながら青信号を渡り、誰も悪魔に気づかないまま通り過ぎた。
 
 今の悪魔にあるのは、静かな孤独とかすかな希望だけだった。

(1165字)
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