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雑記: 負け猫のポジション

 負け猫って、
どうやったら卒業できるんでしょうね。

 わたしはずっと負け猫で、たぶんこれからも負け猫のまま生きていくんだと思います。

 noteで小説風味やエッセイ風味を書いてるけど、大した技量もないし、人気作家みたいに読まれるわけでもない。

 それでも書くのをやめたら
「何もない自分」になっちゃうから、
とりあえず続けてる。

 世の中にはすごい人がたくさんいるんですよね。

 プロになってる人やバズる人や。
そういう人たちを見るたびに
「ああ、やっぱり私はダメなんだな」って思う。

 負け猫のくせに、
なぜか努力だけはしちゃうんですよね。

 書いても書いても、誰にも認められないのに。

「才能ないならやめたら?」って、
自分でも思うんですけど、やめたところで別に成功するわけじゃないし。

 むしろ、負け猫のくせに夢を見ちゃう方が痛々しいのかな。

 SNSを見てると、すごい人たちが「私は天才」「才能ある」「評価されるのは当然」みたいなことを言ってるのを見かけます。

 わたしはそういうのを見て
「すごいなぁ。
私は一生そういう境地には行けないんだろうな」って。

 爪研ぎはしないで、
静かに負け猫ポジションを守ってます。

 せめて負け猫らしく、テリトリーは守り、
隅っこで、ちまちまと生きていこうと思います。

 負け猫には負け猫なりの居場所があるんです。

 たとえば、社会の窓とか。

 社会の窓って、気がついたら開いてるんですよ。

 誰も開けた覚えはないのに、ふとした瞬間に風が吹いて勝手に開いてる。
風通しがよいなら、まあ いいか。

 みんな気をつけてるのに、いつの間にか開いてて、周りに指摘されるまで気づかない。恥ずかしいけど「まあ仕方ないか」って、そっと閉じる。

 負け猫の人生も、それと似てる気がします。
最初から開き直るわけじゃない。

 でも、気づいたら敗北の風が吹いていて、
いつの間にか負け猫ポジションにいる。

 努力しても、がんばっても、結局どこかで
「やっぱり私はダメだな」って気づく瞬間があって、そっと負けを認める。

 社会の最前線にはいられないから、せめて社会の隅っこでひっそり生きていこう。

 でも、社会の窓って完全にはなくならないんですよね。

 時々、また開いて、何かがチラッと見える。そこから顔を出せる日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。

 まあ、そんなことを考えたところで、負け猫の居場所が変わるわけでもないんですけどね。
気ままに自由を求めるぐらいです。

 これを読んで「クスッ」と笑ってもらえたら嬉しいニャン🐾

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