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行間を読まずに事実を拾う

 SNSの発達でより顕著になったのが、読解力。

 そりゃそうだ。
国語の偏差値70以上の人から40を切る人まで誰でもアカウントを作れば発信できる。
アカウントがなくても読むことができる。
読んで内心に留めればいいものを、絡んでくるからトラブルになる。

 行間を読むのも大切だが、書いてないことを読んだ気になって議論を吹っ掛けられたり、
もしくは目に入ったワードのみを拾って攻撃されたりなど、読解力の低下。理解力とも言えるのかもしれないが、読書をしたとて補えないのではないかとわたしは考えてしまう。



 最近、あるかたと個人的に話をした。
あるかたはエッセイを書き
「抽象的になったけど、どう思う?」と相談してくださった。

 論理的思考に長けた文章で、これだけでも分かりやすい文章だと思ったが、抽象的だと思案なさるなら、例え話を加えたらどうかと提案した。

 すると、あるかたは
「そうなんだけどね。ネットって、架空の例え話を添えると『アタシの悪口を書いた!』って言ってくる人がいない?」

ああ、落胆のため息が出た。

 創作をしていて邪魔するのは、自意識過剰な人の存在。気持ちは分かるだけ責められない。
 なぜなら、名指ししない悪口が横行していると、心が弱っているときは防御反応が出る。
例え話すら自分の悪口に聞こえてしまうのかもしれない。

「全然、あなたのことは眼中にありませんよ」
釈明したところで 
悪魔の証明のように根拠を出せなど言われそうで、
過剰に騒がれると書く気が失せてくる。

 他人を変えるなんてできないから、自分が工夫したり、内容を一部変更したりと配慮をせざるを得ない。

 正直、わたしの心の中では、先入観だけで反応されると、きちんと伝えることの難しさを痛感して、
こういう反応を見るたびに文章を読む力がどれだけ大事かを思い知らされる。

 他人の言葉を自分に向けられたものと思い込んでしまうのは、過剰な防御反応が働いているのではないかと感じる。

 字面だけを追えないのは、なぜなんだろう。

・ 相手は日常生活で空気を読みすぎる癖が強いのかもしれない。
・ あるいは、自分が注目されているという意識が過剰になっているのか。
・ もしかすると、周囲の反応を気にしすぎるあまり、全てが自分に向けられた言葉のように感じてしまうのかもしれない。
・ SNSの短文文化の影響
・ 読書習慣の低下
・ 自己肯定感の低さ

 配慮を重ねても文句ばかり言われると、意地悪どころか、色々疑っちゃうのよ。



 読解力は読書をして能力を養うよう社会では言われているかもしれない。
確かに書いてあることだけを読む訓練は必要だ。

 昔、試験や模試で字面を追っていたように、
まずは『書かれている情報』を正確に拾う訓練が必要だと思う。
本来、それが読解力の基本。

 過剰に想像するのではなく、与えられた情報から事実だけを捉えることを意識するだけでも、大きな誤解を防げるはず。

 わたしの経験からいうと、問題を解くように読めば多少は誤読や勘違いは減ると思う。

 例えば民法の問題を解くときのように、
書かれている情報を視覚化して整理する方法も効果があり、余白に構図を自分なりに描き、情報をどう整理するかを考える訓練を取り入れば、意外とスムーズに読解力が伸びるのではないか。

 あとは、想像と現実の区別する。
想像も妄想もリアルではありませんよ〜。

 しかし、読解力は個人の特性や環境に大きく左右され、想像を膨らませすぎないためには、
まず文章を『事実』と『解釈』に分けて読む習慣をつけることが有効だと考える。

 中学1年でやった新聞記事の一文を取り上げて、
「書いてある事実」「そこから考えられる解釈」を分けてリストアップする練習をするだけでも、読解力は大きく変わるはず。

  SNSの投稿を見る際には、一度
「この言葉はどんな意図で書かれているのか?」と立ち止まって考える習慣を持つだけで、トラブルの多くを防げるんじゃないかなぁ。



 自分自身の体験談を書くと、わたし自体が単純な人間で、昔は書かれている内容をただ追うことに集中して、情報を整理することだけを心がけていた。
 そうしないと解けるものが解けなくなる。

Aが、その所有地について、債権者Bの差押えを免れるため、Cと通謀して、登記名義をCに移転したところ、Cは、その土地をDに譲渡した。この場合、民法の規定及び判例によれば、次の記述のうち正しいものはどれか。(1993年の宅建過去問 問-3)

〜略〜

【問】Dがその土地をEに譲渡した場合、Eは、Dの善意悪意にかかわらず、Eが善意であれば、Aに対し所有権を主張することができる。

1993年宅建過去問 問3

 民法の問題では登場人物が複数出てくる中で、
書かれている情報を正確に追い、整理する力が求められる。

 余白に『Aが所有地をBに差し押さえられないようCに移転した』という状況を図解にして考えれば、想像を省いて問題を解くことができた。

 わたしのようなアンポンタンは、余計なことなど考えられないよ。



 しかし、なぜそれができない人がいるのか。
そもそも、どうすれば書いていないことを勝手に読み取る癖を防げるのか。特定のワードだけを拾い集めて違う文章が構成されるのか。

 考えてみると読解力とはわたし達が社会で生きる中で必要な、もっとも基本的な相手の意図を正確に汲む力に直結している。そんな気がしてきた。

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