見出し画像

親分は食料調達【項羽と劉邦】

日本は、四方を海に囲まれているので
常に湿気にさらされている。

梅雨があるし、夏は高温多湿だし、
冬には日本海側は大雪だし。

胃腸は湿気が苦手で、
湿が体に入ってくると、途端に具合が悪くなる。

だから、日本人は民族的に胃腸の弱い人が多い。
食も細い。

一方、大陸の国々は、湿度の影響もないから、
胃腸も強く、食べる量も日本人とは比べ物にならない。

漢方薬でも日本人は小さな一包みを
朝晩に分けてちまちま飲むけど、
中国の薬局で漢方というと、
1日分をバケツのような入れ物で売っているらしい。

なんでも胃と相談しながら食す私には、

強靱な胃を持った豪快な人たちには、
何をやっても
かなわないだろうなと
気持ちだけで負けてしまいます💦

画像1

王朝が衰えるとき、
中国では、
大陸中が流民のるつぼになってしまう。

流民のめざすところは、理想でも思想でもなく・・

「食料」!!なのだ。

親分、英雄は、流民に食を保障しないといけない。

食を保障できないものは、流民に殺されるか、
一人で逃亡せざるをえない。


100人程度しか食わせられない親分は、

四方を探して、1000人を食わせられる親分を見つけ、
流民ごとなだれこんでいく。

1000人の流民をまかないきれなくなった親分は、
1万人の親分の下に合流する。

だから、能力のある者のもとには5万、10万という
流民という名の兵士が集まる。

20万、50万人もの食を確保し得る者こそが大英雄!!


だから、能力のある者はいち早く穀倉地帯を抑える。

「食わせられるかどうか」

親分になったら、何より優先しなけらばならないこと。
流民を餓えさせたら殺されてしまう。




5年間にわたり、100戦すべて負けてきた弱い劉邦の漢軍がやっと項羽に勝てた・・その決め手は、

「食料」!!

劉邦は、ごろつきで常に餓えていたので、食糧に敏感だった。一軍の将になってからも、常に食糧を集め歩き、
兵に食べさせることがまず第一!

項羽は将たる者が、食糧の補給に心を煩わすのは愚だと思ってた。

だから、項羽軍は常に飢え、兵士も不平不満で、農家を襲って食糧を奪ったりしていた。

結果、多くの兵士が、項羽のもとを逃げ出し、劉邦軍に寝返った。

垓下の戦いで、四面楚歌という状況を作り、
項羽軍が滅びる。

勝利した劉邦が築いた漢の時代は400年続いた。

親分の食料確保は、やっぱり大事。


画像2

#日記 #エッセイ
#毎日投稿 #毎日note  #毎日更新
#学び #習慣 #生活 #暮らし #人生




いいなと思ったら応援しよう!

ゆりのゆき@身体と心を整えます
サポートいただきました温かいお心は、他のnoterさんにも繋げていきます。有料記事を買ったり、サポートしたり、みんなで頑張っていきたいです。

この記事が参加している募集