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大切に読んだ最後の「本音を申せば」〜小林信彦「日本橋に生まれて」

小林信彦が週刊文春に20年以上連載した、「本音を申せば」シリーズが終了したのは昨年7月。単行本「日本橋に生まれて」となったのは今年の1月。私は記念すべき完結編をすぐに買い求めたが、一気に読むのは勿体無い気がして、少しずつ読み進んできた。

あとがきで、小林さんはNHK BSで再見したヒッチコックの映画「ダイヤルMを廻せ!」を絶賛し、単行本23冊に渡り<エンタテインメントその他の雑知識を書き続けてきた>ことの締めとして、こう書いている。

ヒッチコックの演出技術により、「ダイヤルM」のストーリーは締まり、傑作となる。<彼が《天才》なのはこの瞬間である。みなさん、拍手をするならここです!>、<別にそうしたことが分かっても、エラくはない。しかし、ヒッチコックであれ、ビリー・ワイルダーであれ、そこに気づき、認めなかったら、彼らはエンタテインメントの帝王でなくなるではないか。きみたちは、古今亭志ん生マキノ正博(雅弘)に充分な拍手を送らなかったではないか!>。

小林さんは、このシリーズや様々な著書を通じて、自分の物差しで良いと思うものを紹介し続けてくれた。しかも、その審美眼はテレビの草創期を体験し、エノケン、渥美清、植木等などなど、今では伝説になっている人々と付き合ったことからも醸成された。ヒッチコックに会ったこともある。一方で新しいものも貪欲に吸収する好奇心に裏打ちされている。

最終巻のパート1は“奔流の中での出会い”と題し、小林さんが出会った人々との思い出を語る。読みながら、私の記憶にはなかったが、色々なことが小林さんに刷り込まれていたであろうことに気づく。例えば、小林さんはニール・サイモンにも会っているのだが、<私は氏の作品では「サンシャイン・ボーイズ」が良く>と書いている。加藤健一事務所が同作を上演すると聞き、これは見に行かねばと何故か思った。小林さんは、昔も「サンシャイン・ボーイズ」について書いていて、私はそれを読んだのだろう。

大瀧詠一の音楽も、小林さんに導かれたかもしれない。二人は親交があり、クレージー・キャッツに関する本まで出した。嬉しかったのは、私が敬愛するもう一人の文筆家、橋本治さんとの話があること(小林さんは“治ちゃん“と呼ぶ)。東京の商人の家に生まれて二人に、山崎豊子が絡むのが楽しい。

橋本さん始めとして、訃報をきっかけに書かれたエッセイが多いのは仕方がないが、装幀家、平野甲賀氏に関する文章は悲しい。小林さんの作品の多くは、平野さんの装幀、平野文字に彩られてきた。<私が五十年近くも頑張ってこられたのはこのおかげもあると固く信じている>、と小林さんは書く。本書の表紙も、平野文字が輝いている。

「決定版 日本の喜劇人」の発刊、それを記念したシネマヴェーラ渋谷での企画上映「これがニッポンの喜劇人だ!」についても触れられていて、1年前連日通ったことを思い出す。あれも、小林さんからの贈り物、私にとって五十代最後を彩るイベントだった。

このシリーズは、当初「人生は五十一から」というタイトルで始まった。小林さんは、今年90歳である。連載終了後のインタビューでは、小説を書くことを話されていた。私も還暦を過ぎ「人生は六十一から」である。小林信彦チルドレンの一人として、楽しんでいくつもりである


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