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いまさらだけど「20世紀少年」(映画版)〜原作のイメージを保ちながら

(承前)

昨日でマンガ「20世紀少年」「21世紀少年」の感想は終了したのだが、連載終了の翌年2008年から三部作として順次上演された「本格科学冒険映画 20世紀少年」を観た。(各配信サービスで視聴可能)

いくら原作を気に入っても、映画化作品まで手を伸ばすことはないのだが、本作品は浦沢直樹とマンガ版にストーリー共同制作としてクレジットされている、長崎尚志(登場人物のマンガ家角田の顔は、彼をモデルにしていると思われる)が脚本として関与していることから、観ることにした。

まず驚くのは、主人公遠藤ケンヂを演じる唐沢寿明始め、キャラクターにそっくりな俳優が多く起用されていること。さらには、子供時代を演じる子役たちもピッタリである。原作の読者にとって、映像化作品の最初のハードルは、イメージが壊されないかどうかだが、そこをまずクリアしてくれる。

さらに、浦沢らが関与することによって、原作の骨格が維持され、ドラマが展開されていく。監督は、堤幸彦である。

誤解がないよう言っておくが、私は原作を換骨奪胎して新たな創作物として映像化することについて反対する立場ではない。ただし、原作に満足すればするほど、映像化はそれに忠実であって欲しいと考える。もっと言うと、そうした場合は映像化作品はパスすることが多い。

俳優に話を戻すが、相当な数の人物が登場する作品だが、よくもまぁこれだけ豪華なメンツを集めたなという感想である。ちょい役も含めて、「あっ、こんな人が!」という楽しみ方もある。

原作を補完してくれるところもあった。ケンヂが歌う楽曲“あの曲“は、重要な要素なのだが、原作ではどうも私の頭の中に旋律がイメージできなかった。それが、浦沢直樹作詞・作曲“Bob Lennon“として聴くことができる。

結論から言うと、それ以外にも原作では描ききれなかった物語もあり、観るべき映画だと思う。この映画を観ることによって、マンガの方をより深く掘り下げられるようにも感じる。



ここからは、若干のネタバレ。

原作との最大の違いはなにか。本稿(その2)で浦沢の言葉を引用した。「20世紀少年」は<おもちゃ箱をひっくり返そうというイメージで作った感じがしますね>(「描いて描いて描きまくる」より、以下同)。これが最大の魅力の一つなのだが、これを映画でやると、なんだか訳のわからないものになってしまう。

そこが本作映像化の最大のハードルだが、巧みに散らばったおもちゃを整理・片付けて、ドラマを構成するために必要なものだけで作り上げている。それによって、映画版においては、ケンヂらと悪の組織と“ともだち“との対決、そして“ともだち“とは誰なのかに焦点を当てることになる。

さらに言うと、この映画によって、浦沢直樹は「20世紀少年」に決着をつけた。

マンガ版に戻ろう。私は単行本(完全版デジタルVer.)で読んだわけだが、それでも「20世紀少年」の最終第22巻の終わりは唐突感をもって受けとめた。連載時に読んでいた読者は、さぞかし驚いただろう。「ここで我々は放り出されるのか」と。改めて考えると、あの終わらせ方も余韻があって良いとも思うのだが、やはり浦沢直樹は「21世紀少年」で、本当の決着をつけにいく。

そして、「20世紀」と「21世紀」の間を埋めるかのように、映画版が作られる。原作作成時には、未だ見えていなかった“あの曲“、“Bob Lennon“の誕生の経緯、それに伴うエンディングの変更が映画版では施される。

そこには、ケンヂと“ともだち“の関係性が隠されているのだが、それがマンガ原作の完全版においては、追加される(単行本の表紙においても暗示されている)。映画を作成したことによって、原作にも決着がつくのだった。

浦沢はこう話している。<僕の中での本当の終わりは映画版の終わりなんです>


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