いまさらだけど「20世紀少年」(その1)〜浦沢直樹は1960年生まれなので「サイボーグ009」
浦沢直樹は1960年1月2日生まれ、私は1961年12月生まれなので1歳年長、2学年上である。これが“いまさら“の理由である。
彼のマンガ家デビューは1983年、初連載が1984年、私が就職した年である。つまり、私が大学を卒業し就職、結婚し子供ができた時期に、浦沢直樹はマンガ家として大きくなっていく。一方の私は、忙しさもありマンガからは一旦卒業せざるを得なくなっていく。
それ故、私は遅れて来た浦沢直樹の読み手となった。いまさらだけど「20世紀少年」を読んで、その感想を書いているのは、そんな背景がある。
「PLUTO」が完結したのが2009年、その頃だろう、これはと思い読んだところ、共通体験をベースにしたマンガ家であると認識、「YAWARA!」、「Happy!」をマンガ喫茶で読んだ。
他の作品も読みたかったのだが、電子書籍化されていなかった。それが2021年末に電子化がスタート、私の方も再始動したのだ(とは言え、買い込んでから読み始めるまで“積読“期間を要したが。。。)
ということで、「20世紀少年」である。
浦沢や私と同年代の人、還暦過ぎの男子にとっては、必読のマンガである。もちろん、幅広い年代に響く名作でもある。
「20世紀少年」、完全版デジタルVer.の扉絵、懐かしみのわくタイトルロゴの上部に、“本格科学冒険漫画“と書かれている。これがまずたまらない。1960〜70年代の頃のSFマンガには、こうした表記がされていた。“科学“という言葉を入れて、少しでも“マンガ=悪書“というイメージから脱却しようとしたのだろうか。
石ノ森章太郎の「サイボーグ009」の扉絵を一例にとると、「週刊少年キング」1964年7月26日第31号掲載(おそらく第2話)のものには、“連載空想科学まんが“と書かれている。("Shotaro World“版単行本 第1巻所収)
主人公の遠藤ケンヂは、浦沢直樹と同い歳、小学生の頃、同級生と共に、空地に“秘密基地“と称する遊び場を作り、「よげんの書」を作る。
<20せいきのおわりに、悪のそしきがせかいせいふくにうごきだしました>(「20世紀少年」より、以下同)で始まる「よげんの書」は、悪の組織が細菌兵器をばらまき、世界滅亡の狼煙を上げると書く。そして、20世紀最後の日、<2000年12月31日>には。。。。。
<はたして21せいきはくるのでしょうか!!>、<世界のうんめいやいかに!!>。<そこに……9人の戦士がたちあがったのです!!地球の平和のため、かれらはどうたたかうのでしょうか!!>…
要約すると、「20世紀少年」は、こうした物語である。
お分かりの通り、戦士の人数は9人でなければならない。そして、その中に女性が一人。なぜなら、当時の小学生男子の多くは、「サイボーグ009」にかぶれている。「009」は本作で明示的には登場しないが、1966年に映画化、1967年に映画第二弾、1968年からはテレビ・アニメ放送。映画に行くのはハードルが高かったかもしれないが、テレビは絶対に見ている。
“秘密基地“で遊んだともだちは、様々な場所から集結する。「009」の「地下帝国ヨミ編」を彷彿させる。ただし、2000年12月に立ち上がるのは7人。あと二人は誰か、私はあれとアレと考える。001という赤ん坊サイボーグがいる。幼児だが、他のサイボーグが持たない超越した能力を持っている。
「地下帝国ヨミ編」のラスト、002と009が宇宙から大気圏に突入、流れ星となって。。。。と思いきや、001の念動力で二人は燃え尽きる前に移動され、復活する。これと同様のことが「20世紀少年」でもあった。。。。と、私は考えている。。。そう考えたい。
余計な話を沢山書いてしまった。
(続く)