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著…後藤真樹『かくれキリシタン 長崎・五島・平戸・天草をめぐる旅』
信仰とは一体何なのだろう…? と考えるきっかけをくれる本。
かくれキリシタンだった先祖代々の信仰を今も受け継いでいる人々の姿。
野生の鹿が闊歩している島に今も残っている教会。
そして「マリア観音」のすがた…。
この本を読んでいる間は、今が2023年であることを忘れてしまいます。
キリスト教弾圧の様子をリアルタイムで目の当たりにしているような気持ちになります。
「神父を泊めたかどで、宿主がその場で首を切られて海に投げ捨てられています」
といった壮絶なエピソードを読んでいたら、わたしは冷や汗が出てきました。
泊めただけなのに…!?
みんな命がけですね。
布教する人も、信仰する人も、両者を支える人も。
また、
「他所からやってきて住み着いた男を気に入った夫婦は、三人娘の長女の婿として迎え入れた。娘が身籠ったので、もう隠し立てをする必要もなかろうと、自分たちの信仰を男に打ち明けた。だが翌朝、男の姿はなく、代わりに役人が一家を捕らえにやってきた。一家はこの村でキリシタンは自分たちだけだと村人をかばい、お腹の子どもを含めて家族全員が殺された。海に投げ捨てられた遺体は浜に流れ着き、村人はその遺体を手厚くここに葬ったのだという」
というエピソードも衝撃的!
今の時代に生きるわたしが読むと、その密告した男をぶん殴ってやりたい衝動に駆られます。
しかし、当時はその男の方が「正義」の側に居たのでしょうか…?
…「正義」は人それぞれ違いますから、わたしにはその男を責める権利はありません。
また、その男にもきっと言い分があったでしょうし、「隠し事をされていた」とか「裏切られていた」といった失望感があったのかもしれません。
しかし、もしその男に少しでも情があったなら、いくらその人たちが隠れキリシタンだと分かって驚いたのだとしても、姿を消すだけでも良かったのではないか…と思いませんか?
それなのにわざわざ役人を寄越したということは、もしかしたら最初から隠れキリシタンを見つけに来たスパイだったのかも…?
その男がその後どんな人生を送ったかは分かりません。
けれど、一度は愛したであろう妻やその家族、そして妻のお腹に授かったにもかかわらず生まれることの出来なかった、と言うより生まれるチャンスをその男に奪われた我が子のことを、その男は自分が死ぬまでの間にたった一度でも考えたのでしょうか?
それがわたしは非常に気になります…。
〈こういう方におすすめ〉
隠れキリシタンの歴史に興味がある方。
〈読書所要時間の目安〉
ページ数はさほど多くないのですが、内容が内容なだけに、じっくり読んだら3時間くらいはかかります。
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