HSP、アダルトチルドレン、毒親...実は嫌いです
こんにちは、都内でデザイナーをしている穂花(honoka)です!
私のプロフィールを見た方はん?と思ったかもしれませんが、「※嫌いな言葉もありますが、私を便宜上カテゴリわけしたものです」といった文言をわざわざ書いています。
実は私HSP、アダルトチルドレン、毒親という単語が苦手です。
えっ?!ゴリゴリに使ってるやん!
まあ、そう思いますよね😅
どうして苦手なのか、苦手なのにどうして使っているのか、今回はこのあたりをご紹介していこうと思います!
そんなに自分をカテゴライズしないといけないだろうか
なぜ苦手か結論から言います。
「そのカテゴリに固執して、自分を無理矢理当てこむようになる」からです。
どういうことかというと、「私」ってそもそも1単語では括れないと思うんですよね。
考えてみてください。
私たちは一人ひとりそれぞれ先祖のルーツが全く違うはずです。住むところ、育ち、癖あらゆるところが違うはずです。
そんなとても複雑な私を、たった1語に当てはめるのはなかなかに無理があるとおもいませんか。
更に言えば、あなたの特性を説明してくれる単語もおそらくまだ出ていないことがほとんどだと思います。
HSPとか、鬱だとか、発達障害、LGBTもそうです。最近よく聞かれる色んな概念や単語はほんの一角に過ぎず、まだ言語化されてない特性や個性が世の中には沢山ある、私はそのように思います。
カテゴライズで余計に不安になっている
けれども昨今、SNSで自分語りが容易になったこともあり、新しい概念が登場すると、それに飛びついて「自分は〇〇だ」と語る人が多くなりました。
そしてそこに当てはまらないとすごく不安になる。
例えば、発達障害だと「グレーゾーン」だった場合に「支援が受けられない、どっちつかずが辛い」とぼやく声もXなどでよく見られます。
また「自分は〇〇だから」と他人に配慮してもらうのが当たり前という姿勢を取る人も出てくる様になりました。
しかし、そもそも新しい概念や言葉というのは、自己理解を深めて、より良く生きるために生み出された言葉です。
それをカテゴライズできるか、できないかで不安になったり、落ち込んだり、やってもらって当たり前な人間になるのは本末転倒じゃないでしょうか。
私は自分と向き合うという点ではHSPやアダルトチルドレン、はたまた発達障害という概念もなかった時代の方が実ははるかに楽だったのではとさえ思います。
自分をを説明する単語がそもそもないので、自分探しに時間をかけようがないのです。かえって自他共に「こういう人間だから」とありのままに過ごせていたと思います。
私って本当はいないんじゃね?
もう一つこれに付随して思うことがあります。それは「私って本当はいないんじゃね?」ということです。
細胞は3ヶ月で生まれ変わりますが、その細胞の生まれ変わった後の私は、私なのでしょうか?
ほかにも呼吸をしたとき吸われた酸素は肺を通って、二酸化炭素になりますが、この酸素と二酸化炭素が私と切り離されていると思っています。
このように本当は繋がっているのに私と世界を切り離して考えることが往々にしてあります。
では何故そんな切り離して考えてしまうのか。
「便宜上」脳がそのように考えるように進化したのです。
みんな同じ、繋がっていると考えたままだとありとあらゆることを揃えないといけません。
めちゃくちゃ不便ですし、それでは進化もしていけません。
だから脳は生き残るために「私」という幻を見せるようにしているのです。
嫌いだけど使う理由
さきほど便宜上と言いました。私が苦手だけど使っている理由もこれです。
私は私のnoteがなにか考え方のヒントになったり、癒しになってくれたら良いなと思って投稿していますが、そのターゲットを同じように悩んできた方や概念に囚われている方としています。
その方々は悩んでいる時にHSPや鬱といった自分に当てはまりそうな単語を使って検索するので、そこでヒットするために使っているのです。
大事なのは、言葉に支配されないこと
言葉は気をつけて使わないと、自分の人生を簡単に支配してしまいます。
整合性の合わないことを、自分の都合いいように解釈してしまいます。
本来、ターゲット層に読んでもらいたいなら、こういうことは書かないほうがいいかもしれません。好んで使う方にとっては耳の痛いことのはずですから。
しかし、実際HSPや鬱などの精神疾患の方に「そうですよね、あなたは〇〇ですから仕方ないですよ」とひたすら甘い言葉だけ吐き続けて、依存させてもうけるビジネスが世の中にはごまんとあります。
私はそのようなビジネスにお金を投じてしまう、依存してしまう方に声をかけるような感覚でこの文を書いています。
自立は言葉に支配されることではありません。
ご自身で色んな解釈を調べて繋いで、ご自身の解を出すこと
これが自立です。
長年、誰かの言葉の上に乗ってきた人生であれば、自分の答えを持つことは難しそうに思えます。非難されそうな気もします。
年数もかかるかもしれません。
でも、確実に自分の人生を歩いているという感覚を身につけられます。
お心あたりのある方は今一度、言葉の手綱をしっかりと握りなおしてみてください。
大丈夫、あなたなら出来ると私は信じています。
今日は以上となります。
お読みいただきありがとうございました。