見出し画像

【読書記録】『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んで考えたこと

三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読みました。

いえ、私も新卒入社の頃はなかなか読書できなくて、でも当時はスマホもなかったし、なんならWindows95もない時代(1992年)だったので、その理由を、
・日々新しい体験が多くて、その情報過多な状態に疲れたから。
・単純に自宅滞在時間が少ないから(地方在住マイカー通勤者だったので、通勤中読書不可)。
だと思っていたんですね。
なので、今の若い人はどういう意見をお持ちなんだろう、と興味深々で読みました。

この本はタイトルだけ読むと、読書に関するハウツー本のように見えますが、明治期以後の読書史であり労働史でありました。
そもそも読書という行為が、エリートの「教養」であり労働者の「修養」であったため、仕事で結果を出し、生活を向上させるための手段として、各々の時代に日本人が読書とどう付き合ってきたのか、そういったことが時代を追って述べられています。

これまで漠然ととらえていた日本人の働き方や読書の傾向が、時代の特色を踏まえて文化史として語られると、「我々の読書って即物的やなあ」と思ってしまいます。
生きるために必要だから読書をする。まあそうなんですけど。
文化的な最低限度の生活って?

で、90年代以降の、今につながる失われた30年の中での、自分に不必要と思われる情報や自分でコントロールできない社会を「ノイズ」としてとらえて除去しようとする傾向。
ノイズを除去した情報とは、つまりインターネットの情報で、「情弱」と嘲笑うように、従来の人文知や知識人などの知的権威性を転覆させる性質を帯びている、と。

効率化の結果そうなってきたというやつなんでしょうけど、これ、一歩間違えれば文化大革命では? と、読みながら思ってました。
ああ、反知性主義って文革か。やばいな。国家衰退まっしぐらじゃん。実際、衰退してるし。

で、自己責任論がもてはやされた後の現代において、すべてを自ら背負ってがむしゃらに働いても、バーンアウト(燃え尽き症候群)してしまえば元も子もないと、三宅さんは仰っています。

人間はひとりでは生きていけないから、他者を(他者の文脈を)引き込みながら、仕事、家事、育児、趣味、そのほか様々なことに、全身全霊でぶつかるのではなく半身で、余裕を持たせてあたる方がいい。
「もっと自分ががんばらなきゃ」と思うことは、自分自身の搾取に過ぎない。
バーンアウト(燃え尽き症候群)は、かっこいいことじゃない。

これは本当にそうで、私も個人的に「倒れるまで働く」方だったので、賛同しかありません。自分をどんどん追い詰めていくと、メンタルが凍結するよね。で、そのあとは大変なことになるんですよ、自分だけじゃなく家族も巻き込んでるので。

新自由主義的に効率化優先で、最短距離で最大利益を上げることにこだわるのではなく、他者と共に生きることを意識して、余裕をもって生きるためにも、予想外の情報をノイズとして排除するのではなく受け入れよう、ということですかね。

結論としては、まあ妥当な線ではありますが。
そこに至るまでの歴史的経緯が丁寧に書かれていて、面白かったです。
読んでいると、読書って男性中心の行為だったんだなあ……というのも良くわかるし。女性の話題が入ってくるのも、雇用機会均等法の頃からですし。
排除されてたんだなあ、読書界からも。

そういうのも、実際に誰かが動いて書き表さなければわからなかったことなので、個人的な疑問であっても、調べて書き残すって重要なことなんですね。
というようなことも思い知ったのでした。

いいなと思ったら応援しよう!

ほんのよこみち
よろしければサポートをお願いします。いただきましたサポートは、私と二人の家族の活動費用にあてさせていただきます。

この記事が参加している募集