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撫でる
本を読んでも、結局中身は忘れていく。
このありふれた事実に、意外と読書の出鼻をくじかれている人が多い。
私もそうだった。
読書の面白さに気づいた10代後半。1か月前に読んだ小説の主人公の名が思い出せなくなっていて、唖然とした。今思えば笑い話だが、これでは読んでいる意味がないと焦って、定期的に読み返しては、内容をおさらいした。
だが、こんなことができるのは、読書を始めた最初の頃だけである。読む本の量が増えていくにつれて、いちいちおさらいなどしていられなくなり、「忘れていく」という現実に神経質ではなくなっていった。
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今でもときどき、「本せっかく読んだのに、忘れちゃって……」と落胆している人に出会う。場合によっては、そこから「私は読書に向いていない」に行き着く人がおり、「いやいや、忘れるのが普通ですよ!」を声をかけるようにしている。
そもそも、本の中身を正確に覚えておく必要はなく、自分にとって最も印象的だった文章の一つでも頭に残っていれば、それで充分だと思う。
……とはいえ、本の内容が少しでも定着するなら、それに越したことはない。そのためにできることは色々ある。
「本がおもしろかったとき、そして、その本のことをしばらく覚えていたいときは、ぜったい、他人に話したほうがいい。くわしく話したほうがだんぜんいいが、相手が聞いてくれないときは、おもしろかったよ、と繰り返し言うだけでもいい。でも、そのさいも、どこどこがおもしろかった、と細部にかならず言及する。細部は、一度インプットされると、記憶としてしぶとく生き残るからだ。」
(青山南・著、阿部真理子・絵『本は眺めたり触ったりが楽しい』ちくま文庫、P184)
翻訳家でエッセイストの青山南の著書から、一つ文章を引いてみた。「これ、自分もやってる!」と共感できる内容だったので紹介したい。
読んだ本について他人に話すと、本の内容がインプットされやすいというのはまさにそうで、また、読後感の言語化具合によって、自分がどれだけ本の内容を咀嚼できているかを確かめることもできる。「あれ……思ってたように説明できないな」と感じれば、読み込みが足りず十分に理解できていない箇所があることになる。この気づきをきっかけにして、再読してみるのもありかもしれない。
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「聞いてくれる相手がいないときは、それはちょっと困っちゃうけど、でも、当の本を撫でまわすだけでもいい。おもしろかったよ、と本に語りかけるのも手だ。とくに、こことこことこことここがね、という具合に、ページをぱらぱらやる。傍目にはかなり不気味な風景だが、読書のあとのこういう後戯も、いい反芻になる。」
(青山南・著、阿部真理子・絵『本は眺めたり触ったりが楽しい』ちくま文庫、P184〜185)
読書好きもある領域に達すると、本に話しかけたり、本から話しかけられたりするようになる。
撫でたり褒めたりとは少し違うが、どこに出かけるにも本を持ち歩く、というのも一つの手だ。さらに移動中、本を読み進めれば、その経験や情景も含めて、本の中身が記憶に残りやすい。
おすすめである。
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