惻隠の情
誰にでも、こんな大人にはなりたくないな、と思わされる大人の言動がある。私の場合、「最近の若者は……」と口にする大人を、特に毛嫌いしていた。
何が嫌だったのかというと、まずは「最近の若者」と一括りで語る雑さである。若者全体を、理解できない存在としてエイリアン化し、少しでも理解しようとする努力を放棄する。そんな怠惰が、この言葉には透けて見えた。
どんな惨めな人生でも、これを口にする大人にだけはなるまい。そう子どもの頃に決意して、いざ大人になったらば、現状はどうか? ……非常にグレーな大人になってしまっている。
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若い人を一括りにして語りたい欲求が、自分の中にモクモクと膨らんでいっているのを強く感じるとき、時折読み返す本がある。
獅子文六の『自由学校』。本書の舞台は、敗戦後の日本。自由や男女同権という新しい価値観が浸透していく中で、それを糧に前向きに生きようとする人、反対に違和感を覚えて回帰を望む人が、巧みな会話文と風景描写を通して描かれる。主人公夫婦の憎めないキャラクターも魅力的だ。
本書に登場する大人たちは、若者の現状を前にして、よく「惻隠の情」を起こす。これはざっくり言えば、憐れみからくる同情心、を意味する。
文中にある「彼」とは羽根田力、主人公夫婦の叔父にあたる人物で、法学博士である。羽根田は法学の専門家の立場から、戦後の新憲法下で生きる若者に憐憫の眼差しを向ける。
一見すると理性的なこの「惻隠の情」にも、見逃せない問題点がある。それは、昨今の若者は自由を謳歌し過ぎている、何をしでかすか分からない、という拒否感が前提にある点だ。
自分の周りにいる若者だけをサンプルとして、若者全体を論じてしまうというのは、私自身よくしてしまうミスだ。一言で若者といっても、家族環境や経済状況が違えば、生活の様相も異なってくる。
そんな当たり前のことを、笑いありで再確認させてくれる『自由学校』。お勧めの一冊である。
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