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ナイフ

 この本の、この一文に救われた。こういう体験を、10代の頃に味わいたかったと思うことがある。自身の進路に思い悩む時期、私は本と無縁の生活を送っていた。

 数年前、ある友人に大学の学園祭に誘われて、彼の所属する文芸部に顔を出したことがある。各部員から簡単な自己紹介があり、話は自然とこれまで読んできた本の話題に移っていった。
 先程布団から出てきたと言わんばかりの、寝癖を披露する部員の一人は、「子どもの頃、本に何度も救ってもらった」という。口ぶりに熱がこもっていたので、「例えば、どんな本に救われたの?」と話を振る。
「中学時代、クラスに居場所がなくて不登校気味だったんですけど、ある本を読んでから、頑張って通えるようになったんです」
 そこで彼は『チェインドッグ』という本の名を挙げた。聞いたことがなかったので、話の続きを促す。
「榛村大和という登場人物が、もし克服したい人間がいれば、ナイフを隠し持ったつもりで向き合え、とアドバイスするシーンがあって……。これで、不登校を辞めれるかもしれないと思ったんです」
 なかなかスリリングな発言だが、こういう言葉こそ、人生の突破口になりうるのかもしれない。そんな感想を抱きつつ、「面白そう、今度読んでみようかな」と言葉を返した。

 「今度」は来ることなく、月日は流れた。すっかり勧められたことさえ忘れていたが、書店でアッと思い出すことになる。
 普段通り、本棚を物色中、たまたま手にした本の巻末に、「『チェインドッグ』を改題・文庫化したものです。」という一文を見出す。瞬間、あれ、このタイトル……となり、大学の学園祭の光景が甦ってきた。

 改題後のタイトルは、『死刑にいたる病』である。そして、実際に読んでいって分かったことは、あのとき文芸部員が口にしていた人名・榛村大和は、本作の中心人物である連続殺人鬼だった。

「「もし"持ったつもり"でなくほんとうに持っていたら……わたし、あのとき、使っていたかもしれません」
 その言葉を聞いて、
 「そうか、じゃあ、『ぜひ懐に隠し持って対決に臨みなさい』と言うべきだったなあ。惜しいことをした」
 と明るい声で榛村は笑った。彼女も一緒に笑った。」
櫛木理宇『死刑にいたる病』早川書房、P141)

 なるほど、なるほど。こういう文脈で、あのアドバイスが出てくるのか。
 ……それにしても、である。自分のことを救ってくれた本の言葉として、まさか殺人鬼のそれを紹介する人間がいるとは思わなかった。たまたま殺人鬼であることを口にしなかったのか、それとも意図的に口にしなかったのか、今となっては分からない。
 行き場のないモヤモヤ感を抱えたまま、私は結局『死にいたる病』を読了するにいたった。




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