水道水
小学生時代の転校体験には、あまりいい思い出はないが、それによって得られたことはゼロではない。
自分と縁のある土地が、日本各地(といっても九州中心だが)に散在しているというのは、悪くない。たまたま目にしたニュースに、自身がかつて住んでいた地域が取り上げられていると、親近感からか興味が湧く。「この祭り、よく行ったな」と思いを馳せるとき、そこにネガティブな感情はない。
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複数の地で生活したからこそ、気づいたことがある。一つあげるなら、水道水の味だ。
こう書くと、水の風味や舌触りを細かくレビューできる高度さが要求されそうだが、もちろんそんなレベルにはない。
水道水には違いがある。口に含むことで、はっきりする違いが。そこには、進んで飲もうとは思わない、といった「味以前」の違いも含まれる。
私の記憶では、転校を重ねるたびに、水道水がどんどん飲むに耐えないものになっていったという感触があった。このことは、住む地域が、地方から都市部へと移っていったことと重なる。子どもながらに、「田舎の水はうまい、都会の水はまずい」と感じていた。
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ここで一つ、水道水との関連で、「ペットボトルの水」についても考えてみたい。
私は先程、「水道水がどんどん飲むに耐えないものになっていった」と書いたが、逆に言えば、私はどんな地域でも水道水を日常的に飲んでいたということになる。
比較文化や医学史の研究で知られる福田眞人は、上記引用の著作の中で、水道水と「ペットボトルの水」の比較を行なっている。
生活を支えるエネルギーのうち、水道費に対する意識は希薄になりがちである。電気代については、その値上がりが熱心に議論され、個人的にも、幾度か送電停止を経験したこともあって、シビアにならざるをえない。
一方水道費に関しては、電気代に対してほど神経質さは向けられない。私はペットボトルの水をほとんど買うことがないため、それがより顕著である気もするのだが、実際のところどうなのだろう。
日常的にペットボトルの水を購入している人に、一度話を聞いてみたいものである。
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