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ラビリンス

 今回は、イギリスの作家、ロアルド・ダールの話をしたい。

 彼の作品を初めて読んだのは、大学一回生の頃。読書とは無縁の生活を送っていた、高校時代までの自分を刷新するために、ひたすら本を貪り読んでいた時期である。
 振り返ると、この時期の乱読の反動で、再び読書とは距離を置く人生が始まっていてもおかしくはなかった。そうならなかったのは、私を本のラビリンスに閉じ込めて、二度と出れなくした、幾人かの作家がいたからである。
 その中の一人が、冒頭であげたロアルド・ダールだった。

 一般には、『チャーリーとチョコレート工場』の原作者として知られるダールだが、諷刺成分強めの短篇を書く作家としても名高い。当然私は、どちらの面から評価するのか以前に、そもそもこの作家の存在すら知らなかった。
 この無知をポジティブに解するなら、私はまっさらな頭でダールの作品を楽しめた、ということができる。
 最初に手に取ったのは、短篇集『あなたに似た人〔新訳版〕Ⅰ』だったが、読書中の衝撃とヒリヒリ感は今でも思い出せる。どれほど衝撃的だったかというと、一作一作読み終わるたびに、周囲の友人に「これ、面白かったよ」と勧んでまわっていたほどだ。

 収録作11篇のうち、特に印象的だったのは「おとなしい凶器」。物語の中心人物は、メアリー・マロニーという、妊娠七カ月目の女性。彼女には、愛する警察官の夫がいる。
 ここでの「愛」は、ただの「愛」ではない。それは、以下のような描写からも伺える。

「長い時間、家でひとりで過ごす彼女としては、夫のそばにいるだけで、そばにおとなしく坐っているだけで満足だった。夫の存在を心で受け止めーー日光浴をする人たちが太陽に感じるようにーー夫と一緒にいるといつも伝わってくる、男のあのぬくもりを感じるのが好きだった。坐っているときの彼のくつろいだ姿も、ドアからはいってくるときの彼の仕種も、部屋をゆっくりと大股で歩くその歩き方も、彼女をじっと見つめながらも、どこか遠くを見ているようなその眼差しも、ちょっとユニークな形をしたその唇も好きだった。そんな中でも、ウィスキーが多少なりとも疲れを癒してくれるまで、疲れたとも言わず、静かに坐っているときの彼の姿が、彼女は何より好きだった。」
ロアルド・ダール著、田口俊樹訳『あなたに似た人〔新訳版〕Ⅰ』早川書房、P42〜43)

 彼女は夫の一挙手一投足を愛していた。深い深い愛。ただこのような愛を向けられた側が、同じ熱量で愛を返してくれるとは限らない。最悪の場合、もはや愛してすらいない可能性もある。
 物語の中で、メアリーが直面することになるのは、まさにこの最悪のケースだった。夫に「話がある。聞いてほしい」と切り出され、告げられたのは、交際している別の女性の存在……。

 ここで、本作のタイトルが何であったかを確認しよう。「おとなしい凶器」。末尾の漢字二字からして、この物語が穏和に終わっていかないことは明らかである。
 予想通り、メアリーは夫を背後から……。この先は、ぜひ手に取って確かめてみてほしい。

 20頁ちょっとの作品に、物語としての面白さと普遍的な問い(愛とは何か?)が共存している。この短篇はすごい! ただただ感動した。
 この時の衝撃を、また味わいたい。その中毒性が、今日まで続く読書生活の原動力となっていることは間違いない。




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