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恐怖

 私は十代の頃、平均的な漫画少年だった。
 ジャンプ漫画を中心に、連載中の作品を一通り読む。最新話が気になって仕方がないときは、早朝個人経営のコンビニで雑誌を買い、読み終えてから学校にダッシュした。学校で隠し読みしたことも多々ある。
 クラスメイトとの雑談では、常に漫画が中心テーマの一つであり、ストーリー展開の予想や関連イベントについてなど、話題は事欠かなかった。

 私と同世代の人たちにとって、現役作家の漫画と向き合うとは、ある一つの作品(稀に二作品)を追い続けるのとイコールである。例えば、尾田栄一郎であれば『ONE PIECE』、岸本斉史であれば『NARUTO -ナルト-』、空知英秋であれば『銀魂』、といった感じで。
 前の世代に目を向けてみると、一作家=一作品というのが決して典型ではなかったことが分かる。手塚治虫を一作品に集約して論じるのは難しいし、代表作を決めるだけでも議論が噴出するだろう。それだけ多作の作家が多かったということだ。

 一作家にどハマりし、書かれた諸作品を次々と読み漁る。こういう経験を私に初めて与えてくれた漫画家は、楳図かずおである。
 読み始めのきっかけは、母である。若い頃から楳図ファンであった彼女が、時折家に買って帰ってくる楳図作品を通して、ずるずると楳図ワールドに取り込まれていった。
 初楳図作品は、『神の左手悪魔の右手』だったのだが、そのあまりのおどろおどろしさに度肝を抜かれた。どのページを開いても「グロテスク」であり、逃げ場がない。一度見たら最後、脳内に刷り込まれて、一生忘れられなくなる強烈なシーンが続く。「トラウマになる」という言葉は、この作品のためにあると言ってもいい。

「恐怖には存在論が関わってくる。それで、僕は感情とか知性の生まれるもとって恐怖のような気がしてならないんだよね。人類が一番最初何を感じたかというと、みんな、狼に食われないようにしようとか、生き残ろうというところから始まるわけだから、それはやはり恐怖心でしかないと思うんだよ。初めはどういう形であったかしらないけど、そこから逃れなければと必然的に思わせるような衝動というのは、恐怖という形でしょう。」
楳図かずお『恐怖への招待』河出文庫、P105)

 人間の感情も知性も、その根源には「恐怖」がある、という楳図のこの発言には、強く頷ける。
 『神の左手悪魔の右手』もそうだが、楳図作品には、人間の本能を直接揺さぶってくるような、根源的な恐怖がある。それは、作品の中で描かれる登場人物たち自体が本能を剝き出しにし、真顔で読者の方を見つめてくることから発している。
 この「真顔」が怖いのだーーどんな人間も、社交的な粧いによって「真顔」を隠している。残念ながら私も、その例外ではない。




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