摂取
当人にとっては習慣化されていて気にもかけないことでも、側から見ると特異にうつるということはある。
私には大学の学部時代、毎日一本、酸っぱい飲み物を口にしなければ”落ちつかない“という友人がいた。味を楽しみたいというのではなく、飲まないと不安になるのである。
講義で一緒になるときにはいつでも、彼の机上には、レモン系飲料の小瓶が置かれていた。ある時、何とはなしに、「いつもそれ飲んでるけど、美味いん?」と質問したところ、「うーん、そうでも」という反応があって、ん???、とハテナがいくつも浮かんだことは、今でもはっきり覚えている。
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友人を不安にしていた原因は、この酸っぱい飲み物が帯びているイメージと関係がある。彼には酸っぱい飲み物から、あるものを摂取しなければならない、という強迫観念があったのだ。
その「あるもの」とは何か。ビタミンCである。
私の友人の場合も、というか私自身そうだったのだが、「酸っぱい飲み物⇨ビタミンC」「ビタミンC⇨酸っぱい飲み物」というイメージが前提視されており、そこに疑問を差し挟む発想すらなかった。
上で引用した、ライター・澁川祐子による指摘は、友人や私がこのイメージを共有してしまっていた原因を明らかにしている。
食品表示上では、ビタミンCとレモンがセットで語られることが常態化している。世に出回る酸っぱい飲み物の多くは、レモンを前面に押し出していることが多いから、ビタミンC⇨レモン⇨酸っぱい飲み物、というイメージの流れがここに成り立つ。そして、消費者は日常生活の中で、このイメージを刷り込まれていく。
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友人が強迫観念に突き動かされて、レモン系飲料を手に取る。その過程の中に張り巡らされたイメージ戦略に意識を向けると、なかなか恐ろしいものがある。
私にも、ベストな選択だと思い込まされて、手に取っているものがあるかもしれない。
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