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立ち帰る

 本を読むと幸せになれるか?ーーふとした時に、この問いが頭を過ぎる。
 読書漬けの日々を送っていると、逆にそうではなかった自身の人生を想像してしまう。すると、どちらの方が“幸せ”だったろうか、という疑問に行き当たる。
 大学に進学するまで、読書とは無縁の人間であったから、「そうではなかった自身の人生」を歩んでいる可能性は十分にあった。だからこそ、そこに「どちらの方が“幸せ”だったろうか」を考える余地が生じる。

 冒頭の私を貶すようで、冒頭の私に申し訳ないのだが、そもそも“幸せ”という概念が曖昧すぎて、「どちらの道に進んだかによって、“幸せ”の感じ方も変わってくるのでは?」という指摘をせざるをえない。
 この前提を踏まえて、あえて現状、本を読んで幸せになれているか、を考えてみれば、一先ず「なれている」と答えることはできる。
 強調したいのは、本を読むことは、ひたすら”幸せ”養分を摂取できる行為ではないということだ。これまで“幸せ”だと感じていたことが、本を読むことによってそう感じられなくなることもある。価値観が覆されることで、“幸せ”を喪失するわけだ。
 一方、それまでは特に関心の目を向けていなかった物事に、本を通して“幸せ”を見出せるようになる場合もある。価値観の転換が何を引き起こすかは、手に取る本の内容次第である。

 以上、長々と「本を読むと幸せになれるか?」について語ってきたが、せっかくなので、他者の言説を一つ紹介しておきたいと思う。

「この世のあらゆる書物も
 おまえに幸福をもたらしはしない。
 だが、書物はひそかに
 おまえをおまえ自身の中に立ち帰らせる。
 おまえ自身の中に、おまえの必要とする一切がある、
 太陽も、星も、月も。
 おまえのたずねた光は
 おまえ自身の中に宿っているのだから。
 おまえが長い間
 万巻の本の中に求めた知恵は
 今どのページからも光っている、
 それはおまえのものなのだから。」
ヘルマン・ヘッセ著、高橋健二訳『ヘッセ詩集』新潮文庫、P138〜139)

 引用したのは、「書物」と題されたヘルマン・ヘッセの詩である。
 ヘッセは冒頭で、書物はおまえに幸福をもたらさない、ときっぱり言い切っている。その上で、彼の目は、読者の内部に向けられる。
 読書による気づきというのは、100%外部から情報を与えられるというよりも、もともと自分の内部にはあったが、モヤモヤのまま抱えていたものに言葉が与えられる、という感覚の方が近い。ヘッセの言葉を借りれば、「おまえ自身の中に、おまえの必要とする一切がある」ということになるのだろう。




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