立ち帰る
本を読むと幸せになれるか?ーーふとした時に、この問いが頭を過ぎる。
読書漬けの日々を送っていると、逆にそうではなかった自身の人生を想像してしまう。すると、どちらの方が“幸せ”だったろうか、という疑問に行き当たる。
大学に進学するまで、読書とは無縁の人間であったから、「そうではなかった自身の人生」を歩んでいる可能性は十分にあった。だからこそ、そこに「どちらの方が“幸せ”だったろうか」を考える余地が生じる。
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冒頭の私を貶すようで、冒頭の私に申し訳ないのだが、そもそも“幸せ”という概念が曖昧すぎて、「どちらの道に進んだかによって、“幸せ”の感じ方も変わってくるのでは?」という指摘をせざるをえない。
この前提を踏まえて、あえて現状、本を読んで幸せになれているか、を考えてみれば、一先ず「なれている」と答えることはできる。
強調したいのは、本を読むことは、ひたすら”幸せ”養分を摂取できる行為ではないということだ。これまで“幸せ”だと感じていたことが、本を読むことによってそう感じられなくなることもある。価値観が覆されることで、“幸せ”を喪失するわけだ。
一方、それまでは特に関心の目を向けていなかった物事に、本を通して“幸せ”を見出せるようになる場合もある。価値観の転換が何を引き起こすかは、手に取る本の内容次第である。
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以上、長々と「本を読むと幸せになれるか?」について語ってきたが、せっかくなので、他者の言説を一つ紹介しておきたいと思う。
引用したのは、「書物」と題されたヘルマン・ヘッセの詩である。
ヘッセは冒頭で、書物はおまえに幸福をもたらさない、ときっぱり言い切っている。その上で、彼の目は、読者の内部に向けられる。
読書による気づきというのは、100%外部から情報を与えられるというよりも、もともと自分の内部にはあったが、モヤモヤのまま抱えていたものに言葉が与えられる、という感覚の方が近い。ヘッセの言葉を借りれば、「おまえ自身の中に、おまえの必要とする一切がある」ということになるのだろう。
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