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喜怒哀楽

 先日、『アーモンド』という小説を読み終わった。扁桃体にまつわる先天的な病により、喜ぶ・悲しむといった感情表出に障がいのある少年の姿が描かれる。
 本書の中心テーマは、心とは何か、感情とは何か、である。私もそのテーマに沿う形で、自身の生活を振り返ってみた。

 感情にまつわる言葉で、真っ先に頭に浮かんできたのが「喜怒哀楽」であったから、試みにここ一、二週間、この四つの感情がどれぐらい生活上に表れていたのかを、確かめたいと思った。簡単にパーセントで示してみようと考えてはみたものの、これがやってみるとなかなか難しい。
 考えてみれば当たり前のことだが、感情にはグラデーションがある。例えば「怒り」は、その根底に「哀しみ」が流れていたり、「喜び」は「楽しい」とセットであることが多いなど、何かの感情が濃度100パーセントで表に出ることはむしろ少ない。
 つまり、各々の感情は互いに結び付き合っており、容易に切り分けて考えることはできない。『アーモンド』の少年が直面した困難は、この感情の特徴からも説明できる。

「知らなかった感情を理解できるようになるのは、必ずしもいいことばっかりじゃないと思う。感情ってのは、本当に皮肉なものなんだ。世の中が、君が思っていたのとはまったく違って見えるだろう。周りにある取るに足らないものを、自分に向けられた鋭い武器のように感じるかもしれないし、何でもない表情や言葉が、棘みたいに突き刺さってくることもある。道端の石ころを見てみろ。何も感じられない代わりに、傷つくこともないだろ?」
ソン・ウォンピョン著、矢島暁子訳『アーモンド』祥伝社文庫、P169)

 感情が豊かであることは、ときにストレスを生む。人によっては見過ごせる些細な物事に傷つき、それが哀しみや怒りを生む。もし負の感情に一切囚われない生活が送れたら、それは夢のようである。
 先程も確認したように、各々の感情は、それ単独で表出されることはほとんどなく、互いに混ざり合っている。
 感情を持たない石ころは、確かに傷つくことがない。ただそれと引き換えに、プラスの感情も手にすることができない。

 今はひどく落ち込んでいるけれど、明日には笑って暮らせているかもしれない。ーーこの感情の振れ幅が、私たちの生活を豊かにする……豊かにしてくれるはずだ、と信じたい。



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