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難路
誰もが通る道、というものがある。
アンパンマン。この作品も、その一つだろう。
物心ついたときには、すでに自宅にアンパンマングッズが溢れていた。
大人になってから好きになる場合とは違い、子どもの好きは原始的である。理屈抜きに好きになる。こういう「好き」を生み出せる作品は、そうそうない。
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私にとってのアンパンマンは、はじめからテレビ画面で動くもの。テレビ放送なのかビデオ再生(懐かしい響きだ)なのかの違いはあれ、アンパンマンは画面の前で釘付けになって見るものだった。
原作があるのか、作者は誰か、といった情報に、幼い私の関心は向かない。強い関心を持つようになったのは、大学生になってからである。
赤い表紙と金の題字が目をひく、やなせたかしの自伝『人生なんて夢だけど』。私はこの本を通して、「アンパンマン」の歴史を学んだ。
アニメの「アンパンマン」には原作がある。このことを知っている人は多い。ただ、原作がアニメになるまでの過程が「難路」であったことを知るものは少ない。
絵本『あんぱんまん』が出版されたのは、1973年。やなせが54歳のとき。テレビアニメ『それいけ! アンパンマン』が放送開始するのは、1988年。絵本出版から15年経ち、やなせはすでに69歳になっていた。
この情報を確認するだけでも、お世辞にもアニメ化が順調に進んでいたとは言えないことが分かる。
「月曜日の五時という、当時再放送しかやっていなかった時間帯で自主制作、ローカル枠全国四局のみという稀にみる最悪の条件。作者のぼくはこのとき既に六十九歳、もう激烈なアニメ世界の競争に耐えていく自信がない。それでなくても仕事が繁忙を極めていてこれ以上増やすのは体力的に無理。アニメの怖さは虫プロとサンリオで骨身に沁みてわかっていましたから。」
(やなせたかし『人生なんて夢だけど』フレーベル館、P232)
現在のアンパンマンが有する、安定の人気・不動の地位を知っている身からすると、この放送開始前の悲壮感というのは、俄に想像しにくい部分がある。
私は冒頭で、アンパンマンを「誰もが通る道」と評した。ただ、アニメ放送が1988年であることを考慮すると、その評価が当てはまるのは、今の30代からであることが分かる。
幼い頃の私は、アンパンマンを「ずっと昔からやっているアニメ」として見ていた。ただその感覚とは反して、アンパンマンは割と新しい作品だったのである。
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