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「なまけ」の研究
とくにお目当てのないまま、本屋を訪ね歩いていると、ときどき不思議な一冊に出会うことがある。
それは、特定のキーワードを準備して検索するネットショッピングでは、なかなか起きない出会いだ。(検索・購入履歴からアルゴリズムで選ばれる「おすすめの本」も、その不思議な出会いにはあたらない。)
つい先日も、そんな出会いに恵まれた。
当てもなく、本屋の棚を物色していると、一冊の本とそのタイトルが、私の眼球を鷲掴みにした。
住岡恭子『「なまけ」の心理学的研究による中間層大学生の発見』(晃洋書房)
情報量が多い、というか、タイトルが複雑である。ただ、こういう絶妙な長さのタイトルに、なんとも言えない魅力を感じた。
とりあえず、「大学生の「なまけ」を研究した本なんだな」と理解する。世の中のあらゆる物事は研究対象になりうる、ということを実証するようなテーマである。
私はいろいろな魅力に背中を押されて、気づけば書籍を手に取って会計場に向かっていた。
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読み始めて、まず確認したかったのは「なまけ」の定義である。自分の学生時代を振り返るだけでも、ぼんやりとイメージは湧いてくるが、どう言語化しているのかが気になっていた。
「やらなければならない学業を, 十分やれるのに, 手を抜いたり, 引き延ばしにしたり, やらなかったりしている行動の認知」(住岡恭子『「なまけ」の心理学的研究による中間層大学生の発見』晃洋書房、P125)
この定義を踏まえて、改めて自身の大学生時代を振り返ってみると、思った以上に「なまけ」の確認できない学生生活を送っていたようである。
むしろ、自身に「なまけ」が当てはまっていたのは、高校生以前だった。進学校だったこともあり、表面上は朝から夕方遅くまで授業三昧だったが、まったく内実がともなっていなかった。振り返れば、よくあの授業量に耐えられたなと唖然とするが、ほとんどの授業をぼけーっと聞き流していたというふうに考えれば、無理ではなさそうでもある。
一方、我が大学生活は、世間に流布する「大学生は暇」というイメージとは大分異なり、毎日講義に出っ放し、かつバイト三昧の日々だった。しかもこれを、すべて「自己管理」のもと行わなければいけないことを考えると、我が大学生活には「なまけ」を作る余裕が残されていなかったといえる。
……しかし、感覚としては、「なまけ」てばかりの大学生活を送っていたような気もする。不思議だ。
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上記の定義からなる「なまけ」の観点から、現代の大学生を分析すると、どのような傾向が見られるのだろうか。
著者の住岡恭子は、まず「なまけ」の度合いを測るために、「労力回避」「葛藤」「達成非重視」という三つの因子を取り上げている。(「達成非重視」というのは、学業上の課題達成を重要視していない態度を指している。)
次に、この三つの因子を軸にして、大学生を4つのタイプに分けている。以下に、『「なまけ」の心理学的研究による中間層大学生の発見』(P129〜130)中の言葉を用いながら、簡単に紹介したい。
①「非積極的群」⇨学業において「なまけ」を呈しがちな一群の学生。アパシー傾向が強く、モラトリアムの問題を抱えやすくアイデンティティは未確立。他者に追随しやすく、やりたいことを受動的に決定する。
②「積極群」⇨学業に対する「なまけ」を呈しにくい一群の学生。アパシーとの関連が低く、モラトリアムの問題もない。主体的。
③「回避ー葛藤群」⇨「労力回避」と「葛藤」が原因となり、学業を「なまけ」がちな一群。
④「達成非重視群」⇨学業上の課題達成を重視しないため、大学講義に対する意欲は低く、また職業選択にも主体的には関心を示さない。
こう並べてみると、「なまけ」の見られない②の「積極群」が、最も理想的な学生の姿にうつる。しかし著者は、「なまけ」が見られるその他の群のことを、必ずしもマイナスには捉えていない。むしろ、精神的な健康を有しているとして、「なまけ」の見られる群を評価している。
大学生の「なまけ」を、側から確認できる「行動」のみから捉えるのではなく、学生自身がどう考えているのかという「認知」の面からも分析すること。この方針は、現代の大学生の実態をより正確に把握できるという研究上の利点だけにとどまらず、現場での「学生支援」を考える上でも重要な意義を有している。
少し長くなるが、最後にこの点にまつわる著者の問題意識を紹介しておきたい。
「臨床心理学の視点から考えると, 要領よくほどほどにおさまる程度に, 授業や課題をサボって力をぬける学生は, 息抜きや気晴らしといったコーピングを身に着けているともいえる。そう考えると不まじめな彼らは, 精神的な健康であるようにも思われる。怠学の度合いが強く, 留年や退学をしてしまった学生皆が, 一様に心理的, 能力的な問題を抱えていて, 社会に出ても不適応となるとは必ずしも言えないだろう。
一方で, 目立たない程度に欠席をして規定の単位をなんとか取得しているがゆえに, 怠学を指標とした支援の網に引っかからない学生のなかには, ゆくゆく問題が大きくなり, 支援が必要になる可能性のある予備軍がいるのではないだろうか。在学中には問題が明らかにならず, 無事に大学を卒業できたとしても, 社会に出てから仕事に行けなくなったり, 取り組めなくなったりして, つまずいてしまうタイプの人もいるのではないだろうか。
積極的に学業に取り組むわけではないが, 不適応に陥っているわけでもない, いわゆる「中間層」の大学生のなかには, 要領よく授業や課題をサボれる健康さをもった学生の一群が存在するのではないだろうか。表面的には同じように授業に出席しなかったり, 課題を出さなかったりする怠学行動をとっている彼らだが, その心理的特性や背景は異なるものを有しているのではないだろうか。」(住岡恭子『「なまけ」の心理学的研究による中間層大学生の発見』晃洋書房、P2)
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