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20代の京都駅
どんな刺激的な建築物であっても、生活の中で頻繁に利用されることによって、日常に溶け込んでいき、刺激さは感じられなくなる。
また、よく利用する建築物だからといって、それがいつ、誰の手で建造されたのかを知っていることは稀である。よく考えてみれば、誰が作ったのかを知らないものに、自分の身体の安全性を委ねているというのは、なんとも不思議で、おそろしいことだ。
私にとっての「誰が作ったのかを知らないもの(建築物)」の代表格だったのが、今回取り上げる「京都駅」である。
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私が、京都駅をいつ、誰が作ったのかを知ったのは、恥ずかしながら2020年、最近のことである。
世界がまだ感染症で覆われていなかった2019年まで、「京都駅」は関西地方を旅行や所用で廻るための「手段」にすぎなかった。そこから2020年になり、不要不急の外出が避けられるようになると、めっきり「手段」として「京都駅」を利用する回数は減っていった。
そんな中、私の関心は、京都駅そのものに向けられるようになっていく。遠出ができない分、比較的近場のスポットを掘ってみようという好奇心がわき、京都駅内をあてもなく歩いたり、気になる飲食店があれば、寄って食事をしたりした。「なんだ京都駅そのものも面白いじゃん」と京都駅に愛着が湧いてくると、今度は関連書籍にも手を出すようになり、そこで初めて京都駅の歴史を知ることになった。
折角なので、以下より、現存する京都駅について少し紹介しておきたいと思う。参考にするのは、2022年1月に刊行された、小川格『日本の近代建築ベスト50』(新潮新書)である。
京都駅は、1994年の平安遷都1200年を記念して、JR西日本と京都市が計画したところから始まる。建築にあたっては、選ばれた国内外の建築家七名によるコンペが行われ、そこでは「駅」としてだけでなく、宿泊・商業・文化施設としての機能を有する「京都駅」像が求められた。
七つの建築案の中には、京都のイメージにも沿う形で、単純明快なモデルを提示した安藤忠雄や黒川紀章の建築案もあったが、選ばれたのは複雑なモデルを提案した原広司のものであった(注1)。
原は、京都駅の中心に長さ470メートルのコンコースを据え、そこから様々な機能(施設)を結びつけていく。夜に足を運ぶと、時折綺麗なイルミネーションの場となっている、段数・171段、全長・70mの巨大な階段は、原がつくりあげた京都駅の象徴的な空間であると言っていい。
上記のような構造をもつ京都駅は、しばしばその複雑さを理由に批判されることが多い。そこには京都らしさ、伝統が見られないというのである。
これに対しては、小川格が『日本の近代建築ベスト50』(新潮新書)の中で次のような切り返しを見せている。
「百年ほど前にエッフェル塔ができたとき、パリ市民は伝統を無視した醜悪な建造物だと猛烈に反対した。しかしいまではパリ市民が自慢するパリの重要なシンボルで、パリ第一の観光名所である。」(小川格『日本の近代建築ベスト50』新潮新書、P190)
「京都を愛する京都市民は、やがて、金閣寺や清水寺とともに京都駅を世界に誇る建築として誇りに思う日が来るに違いない。」(小川格『日本の近代建築ベスト50』新潮新書、P193)
京都駅は完成したのが1997年、まだ誕生して25年しか経過していない(2022年時点)。京都を支える玄関口として活躍しながら、新しい京都像を提示する建築物として、今後もあり続けるだろう。
【補注】
(注1)原広司は東京大学で丹下健三から教えをうけている。面白いのは、京都駅と並んで、現代の京都を代表する建築物である「京都タワー」と丹下の関係性。丹下健三は「京都タワー」の建造に反対した代表的建築家の一人だった。師が猛烈に建造を反対した「京都タワー」の前に、教え子が作った近代的建築物「京都駅」が建てられた。面白い対比である。
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