補完作業
ある一つの小説を肴に、友人と感想を語り合っていると、時々「ほんとに、同じ本の話してる?」という食い違いが起こることがある。
それは、著者が読者に伝えたかったこと、といった物語全体に関わるものだけに限らず、ある登場人物の性格、といった細部に関するものまで、様々だ。
どうしてこのような「食い違い」が生じるのだろうか。
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その原因を解析する上で、一つ便利な視点がある。
巷では『読んでいない本について堂々と語る方法』の著者として知られる、ピエール・バイヤール。彼が、『シャーロック・ホームズの誤謬』の中で詳しく語っている視点が、それだ。
該当箇所を、次に引用してみたい。
読者が本を読むときに、自然と行っている「補完作業」。ここに、「食い違い」が生じる原因の一部が見出せる。
登場人物の一人が、ある言葉を口にする。読者はその言葉及び語り口から、一つの性格を類推する。「こういうことが言える人は、〇〇なやつに違いない」というように。そこでは、本文の中で、登場人物の性格が直接言明されているかどうかは問題にならない。すべては読者の側に委ねられている。
多くの著者は、この読者の「補完作業」に助けられている。あらゆる場面を精細に描き切ることはできない以上、不足している箇所は読者の側で埋めてもらうほかない。もちろん、著者がこの「補完作業」を意図的に利用して、物語を仕上げる場合もある。「ミスリード」を狙うミステリーの作品群は、その典型例である。
こういう風に見ていくと、ピエール・バイヤールが本文の中で述べているように、たとえ同じ本であっても、ひとたび各々の読者の手に渡ってしまえば、「もはや同じ本ではない」のかもしれない。
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