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敬愛

 会って話す場所として、いつも指定してくるほど、ミスタードーナツが好きな友人の家を、先日訪ねた。
 手土産に、クリーム系のドーナツを四つほど買い、持っていく。期待通り、友人は喜んでくれて、「いっしょにたべよう」とコーヒーをいれてくれた。

 本好きの習性として、訪ねた場所に本棚があると、ついつい物色してしまう。
 友人の家に来るのは久々だったため、一言断りをいれてから、本棚を見せてもらった。
 社会科学系の本が多い棚の中にあって、一冊美術系の本を見つける。タイトルは『ぼくの美術帖』。版元は、みすず書房。著者名は「原田治」とある。
 私はこの著者のことを知らなかったので、友人に「この本の"原田治"ってどんな人?」と訊ねた。
 簡単な説明が返ってくるかなと思いきや、友人は熱く語り出した。それもそのはず、この"原田治"は、友人の愛する"ミスタードーナツ"と深いつながりがあった。
 原田治は、キャラクターグッズ「OSAMU GOODS」で人気を博したイラストレーターで、1980年中頃から2000年代初頭にかけて、ミスタードーナツのイラストを担当した。イラストを見せてもらうと、我が家にもこのイラストが付されたバッグがあることに気づく。見慣れたイラストでありながら、私はその作者を知らなかったのだ。恥ずかしい。

 一冊の本から、友人のミスタードーナツ愛の深さを知って、感動する。原田治の美術観に興味が湧いたので、友人に本を貸してもらうことになった。

「自分の好きな或る画家を、やはり自分の好きな別の画家が敬愛しているのを知る事は、楽しい出来事です。
 ぼくの眼識もそれほど捨てたものじゃないな、といった小さな満足もありますが、それよりただファンの心理とでも云うような、実に単純な喜びです。」
原田治『ぼくの美術帖』みすず書房、P22)

 この感覚は、美術以外の分野でも言える。
 自分としては、てんでばらばらの作家たちを好きになっていると思っていたら、作家同士には影響関係があり、それを公言していたりする。私の好きな作家に、共通して流れる要素とは何だろう、と考えてみることは、知的好奇心が擽ぐられ、大変面白い。

「美術を発見するということは、強い精神の集中力を携えて出かける探険旅行のようなものでしょう。日常生活での瑣末さや退屈さを脱して、遥かなるもうひとつの別の次元が突然目の前に現出することです。それは洞察と歓喜の生き生きとした世界の発見です。かくしてぼくはこの探険に心を奪われたまま馬齢を重ねてきました。」
原田治『ぼくの美術帖』みすず書房、P216)

 俵屋宗達の絵、木村荘八・鈴木信太郎らの挿絵、アーニー・ブッシュミラーの漫画『ナンシー』など、様々な作品との「邂逅」を通して、原田治の美術観は形作られていった。その遍歴を追える本書は、読者に新しい美術との「邂逅」の場を提供する。

「どんな古い美術であっても、生まれて初めてこの眼で実際に観るということは、常に自分にとってのまったく新しい発見です。この生きた、新鮮な驚きは、他人がつくった既成の美術史を通してでは得られないものです。」
原田治『ぼくの美術帖』みすず書房、P216)

 制作年代の古さに関係なく、初めて対面する作品には新しい発見がある。これは、どのような作品と向き合うときにも、心に留めておきたい視点である。



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