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福袋

 例年通りであれば、近づくことさえしない「福袋」を、今年は二つ購入した。
 実家暮らしの頃、親に連れられて福袋を買いに行くことが多々あった。そのほとんどは衣類を扱ったものだったが、服なんて肌を覆えれば何でもいい、と思っていた私には、無関心。ついていくのさえ、億劫だった。
 その無関心が継続していたため、一人暮らしがスタートしてからも、福袋は関心の外にある。服は必要なものを、最低限購入する、これの徹底。

 当たり前だが、福袋の扱う商品は衣類だけに限らない。私がグッと関心を強めるきっかけになったのは、食料品の福袋である。
 3000円の福袋で、最低5000円相当の食料品が手に入るーー観察すると、こういうスタイルをとる福袋が多かった。注目点は、何と言っても損をすることがないこと。しかもそれは最低ラインからであって、より得をする可能性もある。
 なんて魅力的なんだ……私もこのスタイルに心を摑まれ、福袋を購入するにいたった。

 福袋のラインナップを物色していくのも面白いが、それに群がる人々の姿を観察するのも、これまた一興である。

「「何が入っているかわからない」からこそ「もしかしたら、すんごいものが……」という幻想も持てるわけである。そこで「東急本店」なのだ。東急では、各売り場・各ショップの福袋とは別に、「東急の」福袋を毎年売り出している。ま、「超総合福袋」と言っていい。何が入っているか全くわからない。しかし、抜群の射幸性の高さであるとの「伝説」があるのである。」
ナンシー関『信仰の現場〜すっとこどっこいにヨロシク〜』星海社新書、P176)

 引用したのは、コラムニスト・ナンシー関による福袋観察記の一節である。
 舞台は、渋谷東急百貨店・本店8F特設福袋売り場。中身が確定している福袋ではなく、何が入っているかわからない福袋が販売されているということで、ナンシー関は狙いを定め、実地観察に出かけた。

「「もしかしたら大もうけかも」→「やっぱり損した」→「ちっきしょう」→「でも自業自得ね」→「ま、正月だからいっかあ」。この揺れ動く心もようが、人をまたひとつ大人にするのである。」
ナンシー関『信仰の現場〜すっとこどっこいにヨロシク〜』星海社新書、P181)

 福袋の購入が、人をまたひとつ大人にするーー実地観察を経て導き出されたこの結論に、私は思わずニヤけてしまう。
 私が今年購入した二つの福袋は、中身を事前に確認できるわけではないにしても、損をしないことだけは確定している代物だった。これでは、ナンシー関の示した「揺れ動く心もよう」が生じない。
 大人の成熟を摑み取るためには、損をする危険性がある福袋を購入していく必要があるかもしれない……来年は挑戦したいと思う。




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