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秘密

 本を通じて、忘却の彼方にあった記憶が呼び起こされることがある。

「友よ、きみの心の秘密を自分だけのものにしておかないで。
 それを話してくれたまえ、ぼくだけに、そっと。
 穏やかに微笑み、低く囁くきみよ、聞くのは耳ではなく、ぼくの心だ。」
ラビンドラナート・タゴール著、内山眞理子訳『散文詩集 庭師』未知谷、P48)

 上記の詩によって思い出されたのは、苦い記憶。忘却されることを望んでいた記憶だった。

 高校一年生のとき。よく一緒に下校する友人がいた。彼とは通学路が一緒だったわけではなく、彼が利用するバス停まで行って、そこで数十分間おしゃべりして別れる、という流れだった。
 ある日、いつも通りバス停で雑談をしていると、彼が急に真顔になって、「実は最近気になる人がいるんよ」と言ってきた。当時私は、「気になる人」という言葉の意味が瞬時に察せられないほど、そういった話題と無縁であったから、うまく反応できず、口籠ってしまう。
 「気になる人って、好きな人ってことか……」と理解が追いついたときには、すでに友人は好きな人に対する思いを語り始めていた。
 そのときの私の心情を正直に表現するなら、「しんど」だったろうか。誰かの秘密を抱え込むのは面倒臭いなと感じていた。今思えば、恋愛話レベルでそこまで深刻に考える必要もないのだろうが、高校生の私はそれを耐えられない重荷と受け取った。
 その後彼とは、なんだかんだそれらしい理由をつけて、一緒に下校することはなくなった。

 なぜあそこまで露骨に拒絶する必要があったのだろう。基本的には謎だが、理由をつけられなくもない。
 私が、二者間で秘密を共有したりはしない「浅い関係」に落ち着きを覚えてしまうのは、小学生時代の転校の影響が大きいように思う。
 どうせ深い関係を結んでも、いずれ別れるはめになるのなら、そのときの心的ダメージを最小限にするためにも、関係性は薄めに留めておいたほうがいい。こういう思考が小学生時代に固着してしまった結果、高校生になってもなお関係を深めていくことに拒否感を示してしまう。

 子どもの頃の苦い経験は、なかなか尾を引くものだ。いつの日か解放されるときが来るのだろうか。



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