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落とし物

 これは何かの啓示だろうか。
 ここ数週間で、財布二つとスマートフォン二台を拾った。
 アスファルトの上で、日光を全身に浴び、熱々になっている革財布。ショッピングモール内のソファに、ぽつんと佇む長財布。
 一台目のスマートフォンは、落とされた衝撃でか、画面にヒビが入っていた。二台目は、充電が残り6%しかなかった。

 財布もスマートフォンも落とした経験があるから、分かる。落とした事実に気づいたときの動揺ったらない。パニック必至だ。
 少しでも早く持ち主のもとに戻るよう、ショッピングモール内の総合カウンターなどに届ける。再会できることを、願ってやまない。

 財布やスマートフォンなどの落とし物には、一つの特徴がある。それは、外部から力が加わらない限り、落とされた地点に留まり続けるという点だ。
 外部からの力、の代表例は、第三者による拾得。交番などに届けられる場合もあれば、ポッポにナイナイされる可能性もある。

「迷子の動物を捜す貼り紙を見かけることがある。A4くらいの紙を使った、自宅かコピー屋で刷ったとおぼしき手作りの印刷物が電柱や塀に貼りつけられている。これまでに見かけた範囲でいえば、その形式は世界のどこへ行ってもおよそ共通しているようだ。いなくなってしまった動物の写真があって、その周りに動物の名前と、細々とした特徴の記述、そして捜し主の連絡先が記されている。だから知らない言葉で書かれていても、どれがその動物の名前なのか、なんとなく想像がつく。」
東辻󠄀賢治郎『地図とその分身たち』講談社、P178)

 仮に「持ち主」を「飼い主」と読み換えることが許されるならば、迷子の動物は、自ら動く「落とし物」だと捉えることもできる。
 翻訳者の東辻󠄀賢治郎は、街の中で時折見かける「迷子の動物を捜す貼り紙」に注目し、一篇のエッセイを書いた。一枚の貼り紙に込められた思いや葛藤を、誠実に掬い取ろうとする姿勢には、素直に唸らされる。

「捜すこととは場所を求めることだ。失われたものを、どこかの場所に結びつけておくこと。見失ってしまったものがまだその場に留まっている、そのように信じること。あるいはむしろ、何かを、いつまでもその場に留め置こうとすること。それは喪失をめぐる私たちの記憶のふるまいそのものでもあるような気がする。」
東辻󠄀賢治郎『地図とその分身たち』講談社、P180)

 生き物は自由に移動できる。その点を承知しているからこそ、一層、見知っている身近な場所にいてほしい、そう期待してしまう。
 落とし物の場合でも、「場所」との結びつきは強く感じられる。拾い上げようとした瞬間、土地から無理やり引き剝がしているような感触を覚える。善意からの行動であるにもかかわらず、何とも言えない罪悪感に胸が満たされる。

 「ここら辺で落としたはずなんだけど……」とアスファルトの表面を目でなぞる、見知らぬ男性の姿が頭に浮かんできた。
 あなたの財布、救出させていただきました。ぜひ近くの交番で確認してみてください。



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