裏切り
皆さんはブックオフが好きだろうか。
私は、一週間に一度、はさすがに言い過ぎだとしても、それなりの頻度でブックオフに通っている。好きか嫌いかの二択で問われたら、嫌いと答える理由は見つからない。
読書好きであれば、ブックオフも好きだろう。そう素朴に思ってしまう自分もいるが、どうやらSNSを見ていると、容易に等号で結べる関係性ではないことが分かる。
「ブックオフでいくら本を買っても、著者にお金は入らない」。これは、ブックオフに批判的な人たちが最も口にする主張である。ごもっともな主張で、反論の余地はない。私自身、ネット上で「ブックオフでしか本を買わない」と悪気なく宣言し、読書好きを名乗っている人を見ると、「なんだかなぁ……」とやるせない気持ちにはなる。その意味で、ブックオフに批判的な人たちの気持ちも分かる。
ちなみに私は、ブックオフでは絶版本しか買うことはない。主に文庫コーナーを狩り場とし、もう二度と復刊することはないであろう、1980・1990年代のエッセイ・随筆を漁る。新刊書店で購入可能な本を、わざわざブックオフで買うことはしない。
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ブックオフ批判論を目にするたびに、私が一番気になっていたのは、著者の側の意見である。一般読者の意見はいくらでも拾うことができるが、本の作り手の側はどう考えているのだろう。
ここで一つ、ある作家のブックオフ論を引いてみたい。
私がふんわり抱いていた「いうて、作家さんの方は、あまり気にしてないのでは」という予想は、ものの見事に灰燼に帰した。
驚いたのは、中山七里が極力ブックオフを利用しないようにしているだけではなく、本が中古市場に流れないよう、読み終えた本はまとめて捨てているという点だ。「本が可哀想、などと思ってはいけない」という一文は、本を愛でがちな私の胸を深く抉った。
著者および出版社への抗議の手段として、ブックオフを利用する。この徹底ぶりには、ただただ圧倒される。
中山七里がここまで気炎を吐く背景には、そもそも彼の作品がブックオフの棚によく並んでいる点が挙げられるだろう。
これは何も、読者が「つまんね」と言って売り飛ばしているからではなく、ブックオフの棚に並ぶほど、彼の作品が市場に流通しているからである。あまりミステリー小説を読まない私であっても、中山七里作品は四、五冊読んだことがあるぐらいだ。
一方、私がよく読む人文書や学術書は、滅多なことがない限り、ブックオフでお目にかかることはない。これは端的に、流通数が少ないからである。
最後に、以前「〇〇くん、この前、自著がブックオフに並んでたよ!」と喜んで私に報告してくれた、大学の教授がいたことを、ここに記しておきたい。
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