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未完成
一〇〇歳が聞く一〇〇歳の話
これは、私がここ数週間の間に読んだ本の一タイトルである。
世の中には、様々な点でスケールの大きい本というものはあるが、こと「年齢」に関していえば、これほど本に関わった人がご高齢であるのは珍しい。
本書は、100歳前後の現役美術家五人の語りを、内科医で、本人も100歳を迎えた日野原重明が聞く、という構成をとっている。
語りの内容以前に、そもそもこの企画が成立し、その中で言葉が紡がれていること自体に、私はいたく感動した。一線で活躍する美術家の言葉であることはもちろんのこと、やはり100年前後の時を生きてきた、そのことからくる説得力は、ズシリと重い。
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高齢社会、高齢社会と言われて久しいが、実際に直接、高齢者の方と交流がある人というのは、割と少ないのではないだろうか。
私自身、ご年配の方と交流があると言っても、それはあくまで60代後半、70代前半であって、80代、ましてや90代以上となると、血縁者を除けば、具体的に顔の浮かぶ人はいない。
……そう思っていた。
実は、時々立ち話をするご近所のおっちゃんが、なんと90代の大先輩であることが最近判明したのだ。
立ち話の中で、私が「一年もあっという間ですね」とぼやいたところ、「そう。私も気づけば92歳」と仰るのである。
本来は年齢で相手を見る目を変えるのは避けた方がいいが、90年以上も生きている人間とゆったり立ち話ができている、そのことに厳粛さを感じずにはいられなかった。しかも、その事実に気づく契機になったのが、「一年もあっという間ですね」という私のぼやきである。なんとも呑気なものだ。
今後もおっちゃんと顔を合わせるたびに、軽い立ち話をすることになるだろうが、相手の迷惑にならない範囲で、この「軽い」に重みを加えていければなと思っている。聞いてみたいこと、聞いておきたいことが沢山ある。
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「考えてみれば、どんなに生きてもせいぜい一〇〇年くらい。その中で何ができるか、といっても、理想の絵一つ完成させるのさえ間に合わないよ。もちろんやりたいことはいっぱいあるけれど、何をするのでも、一〇〇年、二〇〇年じゃちょっとできないし。まあ、未完成であるというのもまた正しい在り方かな、と思うんですけれどね。」
(髙山辰雄・述、『一〇〇歳が聞く一〇〇歳の話』実業之日本社、P152)
1912年生まれの日本画家・髙山辰雄は、こう述べる。何かを成し遂げるには、100年、200年じゃ足りない。スケールのでかいこの言葉をどう受け止めるべきか。まだ彼らの三分の一も生きていない若造の私には、まだ答えは出せていない。
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