四国の清流でカヤックを体験 (高知県四万十市)|ホンタビ! 文=川内有緒
10年ぶりに高知県にやって来た。
目の前には、「日本最後の清流」とも呼ばれる四万十川が流れている。うーん、こりゃすごい。観光パンフレット等に載っている写真には1ミリの誇張もございません! と証明するかのごとく、視界いっぱいに雄大な大自然が広がっている。
前回ここに来たのは、人生初カヤックに挑戦するのが目的だったのだが、今回もまた、カヤックが目的である。
今月の一冊は、ずばり『日本の川を旅する』。1982(昭和57)年に出版された本で、著者は日本屈指のカヌーイスト・野田知佑さんである。その自由でゆったりとした旅のスタイルは多くの旅人に影響を与えた。今年3月には突然の訃報が流れ、悲嘆の声があがると共に、野田さんの本を再読した人も多かったようだ。私も本棚にあった同書を読み返し、勢いのままに四万十川にやってきたというわけだった。
野田さんの肩書きはカヌーイストだが、実際に彼が乗っていたのは場所によってはカヌーだったり、その一種であるカヤックだったり。主な違いはパドルの形状や漕ぎ方だが、まあそのへんの詳細は割愛!
とにかく何もかもが久しぶりなので、カヌーとサップ*の体験施設「withRIVER」を運営するガイドの谷吉勇太さんにパドルの使い方を教えてもらう。谷吉さんは四万十市で生まれ育ち、子供の頃から川を遊び場にしてきた人である。
流れはほとんどなく、力を入れなくても、すっと滑るようにカヤックは進んでいく。
「穏やかですね〜、いつもこんな感じですか」と聞くと、「そうですね、四万十川はダムもないのでだいたいの場所が穏やかです。もちろんちょっとドキドキするポイントもありますけど!」と日に焼けた眩しい笑顔で答えた。
10分ほどの漕ぎ方講習を終えるともうフリータイム!
「自由に漕ぎはじめてよし!」ということで、私も気の向くままに進んだ。頭上には四万十川名物の沈下橋で、その向こうには山々が連なっている。沈下橋とは、増水時に川に沈むように設計された欄干のない橋のことで、最も長いものは290メートルにも及ぶ。「ヤッホー!」と叫んだら「ヤッホー!」とやまびこが返ってきそうだ。
四万十川マジックなのか、運動不足の私ですらこのまま河口まで旅して行けそうな錯覚に陥った。
野田さんは飼い犬のガクと共に世界の川を旅したことで知られるが、『日本の川を旅する』ではひとりで旅をしている。全長4メートル弱の折り畳み式のカヌーを担ぎ、川を求めて西へ、東へ。その中で四万十川は「美しさは日本随一」「水質、魚の多さ、川をとりまく自然、川から見た眺めの美しさ、いずれも日本の川では最高」と惜しみない賛辞が贈られる。確かに、あたりには沈下橋以外の人工物は見えなかった。
実は現在でも四万十川の全流域のほとんどに人工物がない。だから、いま私が見ている風景は約40年前に野田さんが見た風景と同じだし、さらに言えば坂本龍馬が見た風景ともほぼ同じだろう。それは、あちこちがツギハギに開発されている日本ではとても貴重である。
「そうなんです。以前はこれが当たり前だと思っていましたが、だんだん当たり前じゃないとわかってきました。だから毎日ここにいられることが特別に感じられて、僕は毎分、毎秒、幸せです」と谷吉さんはさらに眩しい笑顔になった。
わあ、そりゃ最高ですね。
ちなみに野田さんは、四万十川の上流から河口まで3泊4日で下っている。さすが上流の方には急流や早瀬もあるようで、カヌーが転覆し、水中の岩に頭をぶつけ「目から星がとび散った」とか。
道中では地元の漁師や霊場巡りのお遍路さんたちとも交流していて、村の人の「山や川が好きなひとにゃここは天国じゃ」という言葉を紹介している。その一方で、「この川を下っている間、若い連中を一度も見かけなかった」「天国には若者は住めない」ともある。そこで私は、いやいや、40年後にはちゃんとこの「天国」で暮らしている谷吉さんのような人もいますから大丈夫です! と伝えたくなった。特に谷吉さんの妻・梢さんは東京からこの地に越してきたひとり。彼女を惹きつけたものも、やはりこの川だった。
「大学時代は探検部に入っていて日本全国の川下りをしていたんですが、別格だったのが四万十川でした。通常はダムなどがあるので、川からカヌーを陸に上げて移動させる『ポーテージ』をしないといけないのですが、ここでは上流から海まで障害物がなかったんです」
100年後の清流を思う
本によれば、野田さんは1日中まったくパドルで漕がず、ただカヌーの上であぐらをかいて川に流されていた日もあったようだ。
野田さんがそんなふうに川下りをするモチベーションは実にシンプルで、「遊び」「面白いから」と書いている。流れる川や過ぎゆく時間にただ身を任せることは、とびきり贅沢な遊びだ。
カヌーで行く時は、他の乗物と異なり、目に入るすべての風景は自分の腕で稼いだものだから、それだけ感銘も深い。この山の向うにどんな世界があるのか、とカーブを曲る時は胸がときめく。
さすがに腕がクタクタになったのでカヤックを終え、四万十名物の沈下橋を歩いて渡ってみた。ときおり車もすれ違うのでスリリングだ。一方で欄干がないので川の上を飛んでいるみたいだった。
木陰に座ると、水は透きとおり、川底まで見えた。四万十川には200種を超す魚が生息しているが、これは全国でトップクラスの魚種数である。なかには体長が1メートル以上にも及ぶ巨大なアカメもいるとか。
川をとことん味わいたい、川の生態にも興味津々という好奇心旺盛派におすすめなのは、日本一のトンボ保護区・トンボ王国内の「四万十川学遊館あきついお」のさかな館である。四万十川で確認された魚を100種余り観察することができ、おお、さすが「日本最後の清流!」と感じるわけだが、その「清流」も地球温暖化や環境の変化にじわじわと脅かされており、いつまでも「清流」である保証はないとか。
ここでまた本に戻りたい。四万十川の章は、次のような簡潔かつ美しい言葉で締められている。
四万十川はすべて山の中である。
100年後、この地を訪れた誰かが「四万十川は今日もすべて山の中である」と書けることを願いつつ旅を終えた。
文=川内有緒 写真=荒井孝治
出典:ひととき2022年8月号
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