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天然うなぎのいた森 小網代|新MiUra風土記
この連載「新MiUra風土記」では、40年以上、世界各地と日本で20世紀の歴史的事件の場所を歩いてきた写真家の中川道夫さんが、日本近代化の玄関口・三浦半島をめぐります。第9回は、三浦半島の南西部、相模湾に面した三浦市三崎の小網代の森を歩きます。
毎夏、相模の海の入江に奇跡と呼ばれる森を歩いてきた。
初めてその小網代の森を知ったのは、海岸線の魅力を知ってほしいという神奈川県主催の見学船に乗せてもらったとき。
このクルーズは、三浦の南端三崎港から城ヶ島を回遊して、相模湾の油壺沖へと向かうという。僕の思いは、この半島で鎌倉幕府を立ち上げて、ここ油壺の新井城で滅亡した三浦一族にあった。その落日を沖合から追想してみたかったのだ。
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航海を終えて、小網代湾のシーボニアマリーナの桟橋に上がると、待っていた案内係が湾の奥へと歩を進める。
「さいごは葉山になりましたが、あそこが天皇御用邸の候補地でもありました」と対岸を指した。そして「あの別荘は作家・K氏のもの」「岬の上の家は夫婦で作家、ペルーのフジモリ大統領が亡命中に匿われた屋敷ですよ」と、話に色を盛ってくれる。
やがて漁船や乗合釣船の船溜りになり、どんつきの三浦七福神の白鬚神社には、船乗りゆかりの石の錨が鎮座していた。ここは江戸と西国をつなぐ廻船の風待ちの湊だったのだ。
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参拝を済ませるとツアーは終了だが、案内人のさいごの一言に反応してしまう。「この先には奇跡の森と呼ばれる谷があり、環境保護運動の聖地です」と。三浦にそんな神秘な場所が残っている?!
それは半島北部の鎌倉・鶴岡八幡宮裏の自然を守ったナショナルトラスト運動のようなものだろうか? ナショナルトラストといえば、和歌山県の田辺市に棲む僕の長兄が、博物学者・南方熊楠ゆかりの田辺湾の、その保全に献金したと聞き一緒に見に行ったことがある。
初めての小網代には河口からではなく、京急三崎口駅から森の源流側の引橋バス停で下車する。坂を辿ると谷への口が開いていた。
森への下りは意外にもボードウォーク(木道)で歩きやすい。谷の底に着くと、四方はマテバシイ、コナラの密林に囲まれて、まるでSF映画「地底旅行」の光景だ。「シダの谷」にはジュラ紀のような、アスカイノデが群生している。ここはティラノサウルスならずとも、ディロフォサウルスが襟巻きを広げ顔をだしても可笑しくはない。
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流域を作る「浦の川」に沿って木道を進むと、植生が徐々に変わってゆく。「まんなか湿地」「やなぎスワンプ」「下流大湿地」などと命名された箇所を通過し、ハンノキ、ジャヤナギ、アシ、ススキ、蝶、カエル、ホタル、トンボなど季節ごとの生物と出逢えるのだ。そしてなんとも驚いたのは、初小網代で「浦の川」の草陰でウナギを見たこと。天然のニホンウナギだろうか。
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興味深いのはアシの湿原に油のように光る水溜まりがあったこと。汚染かと思いきや、これは酸化鉄の薄い膜で地中の鉄分を餌にするバクテリア由来のものらしい。小網代は鉄分が豊富で生物の多様性も支えているという。ここまで僅か1キロだけれど毎回この森を歩くと、空気が濃いせいか森の精気で胸がいっぱいになる。
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「えのきテラス」は風が抜ける干潟と湾を望むオープンな休憩所だ。ひと休みして、小網代の主役級キャラのカニを見にゆこうと思っていたら、そこに岸由二さん(慶應義塾大学名誉教授)(*1)がおられて貴重な話を聞かせてもらえた。
*1 『「奇跡の自然」の守り方 三浦半島・小網代の谷から』(岸由二・柳瀬博一 著 筑摩書房)
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縄文期から集落があった小網代。この谷は地元民の田んぼで薪炭林だった。1980年代、そこにゴルフ場やリゾート開発計画が起こる。
人類と自然の歩みを「流域思考」と説く岸さんは、以前から学術的に小網代の森の希少さに着目していた。けれどもただこれら開発計画に反発し、原生林に戻せというわけではない。自然は放置すると森は廃れる。開発は保全のチャンスとばかり、県、市、漁協、企業、ナショナルトラストと連携したNPO法人を立ち上げた。
2014年「小網代の森」が一般公開。現在も岸さんをはじめ森を管理するボランティアの方々で伐採、修復、観察、自然教室、情報発信など保全活動がつづけられている(*2)。
*2 NPO法人小網代野外活動調整会議
さて、奇跡の森・小網代のシンボルといえばアカテガニだ。
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産卵期になると森から海に下りてくる真っ赤なアイドル。いっぽうチゴガニは求愛のパラパラダンスをする。小網代には約60種類のカニがいるらしい。70ヘクタールもの谷に絶滅稀種約150種、約2千種類の生物が棲息できるのも「小網代流域」の恵みだろう。
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森の気を充填したら干潟から油壺に向かおう。途中に「小網代パール海育隊・海の教室」の看板がみえた。かつてこの海ではアコヤガイによる真珠の養殖がされていた。釣船のかたわらその復興の一助(*3)にと真珠の展示室を開き、真珠養殖を教えている船頭さんが解説してくれた。
*3 NPO法人小網代パール海育隊では、三浦の真珠養殖を支援する様々な活動をおこなっている。
さきの油壺の新井城跡には、東京大学三崎臨海実験所(*4)があり、動物学者で初代所長の箕作佳吉(1858-1909)がミキモト創業者の御木本幸吉と養殖真珠の実用化を試みていた。小網代は日本の養殖真珠産業の誕生の海だった。
*4 明治19年(1886)落成 東京大学三崎臨海実験所HPより
そして新井城の土塁や掘跡はその東大の敷地内にあり、ふだんは立入ができない。実験所の旧本館、旧標本展示室は戦前の雰囲気を残した内田祥三(*5)の秀作だった。ただ3年前に耐震事情で建て替えられてしまったのが残念だ。
*5 実験所:2館は昭和7年(1932)、 昭和11年(1936)竣工。内田祥三(1885-1972)は建築家。東京帝大総長。安田講堂[大正14年(1925)]、小石川植物園本館[昭和14年(1939)]等を設計。
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今春、閉館した油壺マリンパーク(水族館)。その裏には3年間ここで籠城戦をした、さいごの将・三浦道寸(三浦義同1451-1516)の墓が残っている。攻囲した北条早雲方の小田原に背を向けて。
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敗け戦の痕といえば太平洋戦争末期、臨海実験所も海軍に接収された。小網代や油壺湾には、今も本土決戦のトーチカや特攻艇「震洋」などの秘匿陣地がたくさん残っている。
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ただせっかく小網代の森で世故の汚れを清められた心身。血と涙の譚はまた別の巻にしようと思う。
文・写真=中川道夫
中川道夫(なかがわ・みちお)
1952年大阪市生れ、逗子市育ち。高校2年生の時、同市在の写真家中平卓馬氏と出会う。1972年から同氏のアシスタント。東京綜合写真専門学校卒業。多木浩二、森山大道氏らの知遇をえてフリーに。1976年、都市、建築、美術を知見するため欧州・中東を旅する。以後、同テーマで世界各地と日本を紀行。展覧会のほか、写真集に『上海紀聞』(美術出版社)『アレクサンドリアの風』(文・池澤夏樹 岩波書店)『上海双世紀1979-2009』(岩波書店)『鋪地』(共著 INAX)。「東京人」、「ひととき」、「みすず」、「週刊東洋経済」等に写真やエッセイ、書評を発表。第1回写真の会賞受賞(木村伊兵衛写真賞ノミネート)。「世田谷美術館ワークショップ」「東京意匠学舎」シティウォーク講師も務める。
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