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田沼時代の光と影|江戸の仕掛人 蔦屋重三郎
大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』の第1話では、渡辺謙が演じる田沼意次と蔦重の出会いが描かれました。江戸時代中期、田沼意次が実権を握っていた時代とはどのようなものだったのでしょうか。新刊『江戸の仕掛人 蔦屋重三郎』(城島明彦 著、ウェッジ刊)より抜粋してお届けします。
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田沼時代と蔦重
蔦重が生きた江戸中期に限らず、いつの時代にもいえるのは、「政治に左右されない文化はない」ということだ。では、蔦重が活躍した時代は、どういう時代だったのだろう。その話に入ろう。蔦重が物心がついた頃、幕閣の最高位「老中」として権力を握っていた人物は、8代将軍吉宗と同じ紀州藩出身の田沼意次である。
吉宗の後を継いだ将軍が9代・10代と続いて凡庸だったこともあって、意次に権力が集中した。蔦重にしろ、京伝にしろ、馬琴にしろ、歌麿にしろ、写楽にしろ、当時の文化を創ったクリエーターたちは、例外なく、田沼意次の政治体制の影響を受けた。
田沼家は代々、紀州藩の足軽。武士の階級では軽輩に属する低い身分の家柄だったが、意次の父意行の時代に突然、〝運命〟が激変。藩主が将軍に選出され、幕臣となった。その藩主が吉宗で、8代将軍になるのは1716(享保元)年である。
そんな田沼家に〝運命の子〟意次が生まれるのは、その3年後である。意次は17歳になると、将軍の世子(世継)徳川家重の小姓となり、江戸城の西の丸に移ることになる。そして家重が1745(延享2)年に9代将軍になると、意次は本丸に移り、そこから出世双六がスタートする。21歳で御小姓組番頭格、30歳で御小姓組番頭に昇進。蔦重が生まれたのは、その2年後の1750(寛延3)年である。
意次の昇進は続き、33歳で御側衆、1758(宝暦8)年に40歳を迎えると、とうとう大名になった。遠江国(静岡県)の相良藩1万石の大名である。
蔦重はというと、そのときは9歳だから、大人たちの会話を盗み聞き、詳細まではわからないまでも、飛ぶ鳥落とす勢いの田沼意次の名前は何度も耳にしたに違いない。
蔦重は、7歳のときに両親が離婚し、吉原遊郭にある引手茶屋の一軒を営む親戚の家に養子としてもらわれていたから、世間一般の同年代の子どもとは比べものにならないくらい大人びていたであろうことは想像に難くない。
世にいう「田沼時代」の始まりは、今日では意次が49歳で側用人として起用されたときからとし、5年後に54歳で老中に就任して全盛を極め、68歳で失脚したときをもって終わりとする。つまり、1767(明和4)年から1786(天明6)年までの19年間とするのが一般的である。蔦重の年齢でいうと、18歳から37歳までの青壮年期が「田沼時代」だ。
重商主義が産んだ賄賂政治
「越後屋、おぬしも悪よのう」
テレビの時代劇ドラマで、悪徳商人の越後屋から賄賂を受け取った悪代官がにんまり笑っていう、このセリフは今ではすっかり全国区となった感があるが、そういうことが日常茶飯のように横行していたのが田沼時代である。
ただし、〝重商主義のマイナスの側面〟である賄賂ばかりが面白おかしく強調されるあまり、税収を上げるための経済活性策として田沼意次が実施した印旛沼の干拓、蝦夷地の開発、蘭学の奨励といった〝重商主義のプラスの側面〟に目が向けられなかったことから、〝田沼時代=賄賂政治〟と決めつける偏った見方が浸透したきらいがある。
そうした描き方につながるのが、意次が商人に「株仲間」と呼ぶ同業組合を結成させ、営業許可を与えたり、仕入れや販売の独占特権を与えたりする代わりに「冥加金」と呼ぶ税を上納させるというシステムだった。
その冥加金に上乗せすることで許認可の権限を持った役人たちの覚えをめでたくして、営業特権を手に入れようと目論む商人も当然現れ、逆に許認可を与える見返りに商人らに公然と賄賂を求める権力者も出現したろうから、そういう不正を行う連中を象徴的にわざとらしく面白おかしく描いたのが、テレビドラマの「おぬしも悪よのう」だったのである。
意次が推進した〝重商主義〟は、1786(天明6)年に失脚するまで続く。意次に代わって新たに老中に就任した松平定信が〝重農主義〟という地味な政策に切り替え、「倹約令」を敷いたので、意次の重商主義の金権政治的な面がよけい目立つことになった。
文=城島明彦
そんな田沼時代に「天明の狂歌ブーム」を起こすことで、一躍“時の人”となる蔦重。本書では、その背景を詳しく解き明かしています。ぜひこの機会にお求めください!
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<本書の目次>
子 江戸の仕掛人 まじめなる口上
丑 遊郭案内仕掛人 「吉原細見」と蔦重
寅 文芸仕掛人 源内の多芸多才に痺れた蔦重
卯 偉才発掘仕掛人 山東京伝は文画二刀流
辰 新ジャンル仕掛人 黄表紙で大躍進
巳 催事仕掛人 空前絶後の狂歌ブームを演出
午 権力と戦う仕掛人 筆禍事件の波紋
未 浮世絵仕掛人 歌麿の光と影
申 大首絵仕掛人 写楽の謎と真実
酉 重版仕掛人 奇想天外な発想と商才
戌 未来仕掛人 〝出版革命児〟の死に至る病
亥 令和の似非仕掛人 「跋」に名を借りた〝逃げ口上〟
城島明彦(じょうじま あきひこ)
昭和21年三重県生まれ。早稲田大学政経学部卒業。東宝を経て、ソニー勤務時に「けさらんぱさらん」でオール讀物新人賞を受賞し、作家となる。『ソニー燃ゆ』『ソニーを踏み台にした男たち』などのノンフィクションから、『恐怖がたり42夜』『横濱幻想奇譚』などの小説、歴史上の人物検証『裏・義経本』や『現代語で読む野菊の墓』『「世界の大富豪」成功の法則』『広報がダメだから社長が謝罪会見をする!』など著書多数。「いつか読んでみたかった日本の名著」の現代語訳に 『五輪書』(宮本武蔵・著)、『吉田松陰「留魂録」』、『養生訓』(貝原益軒・著) 、『石田梅岩「都鄙問答」』、『葉隠』(いずれも致知出版社)、古典の現代語抄訳に『超約版 方丈記』(小社刊)がある。
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