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命とは、不思議なものだ。──西山厚『語りだす奈良 1300年のたからもの』

2014年まで奈良国立博物館で学芸部長をつとめ、正倉院展など100以上の展覧会を運営してきた西山厚さん。その西山さんが、奈良の文化財や史跡、伝統行事などを手がかりに、仏教が根付いた奈良の真髄をやさしく解説した新刊『語りだす奈良 1300年のたからもの』(2024年5月21日発売、ウェッジ)よりお届けします。

今からおよそ2500年前の2月15日の夜、お釈迦さまはインドのクシナガラで亡くなった。見上げれば、天には満月が美しく輝いていた。

それから1500年ほどが過ぎて、平安時代の終わりに西行さいぎょうはこんな歌を詠んだ。

 願はくは花の下にて春死なんその如月きさらぎ望月もちづきのころ

如月の望月とは2月15日の満月のこと。お釈迦さまが亡くなった日に死にたい。

西行は文治6年(1190)2月16日に亡くなった。この年の2月は、16日が満月だったそうで、この上ない最高の亡くなり方だった。

旧暦の2月は現在の3月。春である。西行の願い通り、花(=桜)も咲いて、亡くなったお釈迦さまに沙羅さら双樹そうじゅの花が降り注いだように、桜の花びらが舞い散っていた。

文治2年(1186)、69歳の西行は、およそ40年ぶりに陸奥みちのくへ向かった。

途中の遠江とおとうみ国、現在の静岡県掛川市に、街道の難所があった。小夜さやの中山である。

40年ぶりに小夜の中山に至った西行は感慨ひとしおだった。かつてここに来たのは20代の後半。あれから40年が過ぎたのか……。そして、西行は歌を詠んだ。

 年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山

西行は、約2300首の歌を残しているが、私が一番好きなのはこれだ。

こんなに年をとってから、またここを越えることになるとは、夢にも思わなかった。命なりけり。小夜の中山よ。

命なりけり、とはどういう意味だろうか。命があってのことであると現代語訳されているが、いい訳とは思えない。文法的にはそれで正しいのだろうが。

私ならこう訳したい。命とは、不思議なものだ。ああ、小夜の中山よ。

その4年後、西行は如月の望月のころに亡くなった。

ところで、今年の2月15日の夜、私は40年ぶりにクシナガラにいるはずだった。奈良交通のツアー。私が引率してインドの仏跡を巡る。そして2月15日にクシナガラに至る。40年ぶりのクシナガラ。きっと、西行のことも思い出しながら、ツアーの参加者に、しみじみと、お釈迦さまが亡くなる時の話をしたことだろう。

しかし、新型コロナウィルス感染症の流行で、この企画は中止(延期?)になった。

40年前の2月、私は薬師寺管主かんすの高田好胤こういんさんと、18日をかけてインドの仏跡を巡拝した。

鎌倉時代の高僧である明恵みょうえ上人しょうにんは、お釈迦さまを慕い、お釈迦さまの国であるインドへ行こうと準備を始めるが、春日かすが明神みょうじん(春日大社の神様)の託宣によって、インド行きを断念する。明恵上人の代わりにというとおこがましいが、明恵上人の肖像画のコピーを胸に、インドの仏跡巡拝に出かけた。

誕生した場所(ルンビニ)、悟りを開いた場所(ブッダガヤ)、初めて説法をした場所(サールナート)、そして亡くなった場所(クシナガラ)。

好胤さんは、それぞれの場所で丁重な法要をおこない、その場所におけるお釈迦さまのことを話してくれた。そして最後に「南無釈迦牟尼仏(ナームシャカムニブー)」と何度も繰り返すのだが、好胤さんはいつも涙を流しておられた。

クシナガラの大きな涅槃ねはん像(横たわる亡くなったお釈迦さまの像)が忘れられない。

あれから、40年が過ぎた。好胤さんはすでにこの世におらず、空港まで見送りに来てくれた私の父母も亡くなった。

40年ぶりのクシナガラで、「命なりけり」とつぶやいている自分の姿を想像できる。

写真は、中国重慶市大足だいそくの涅槃像。涅槃像に出会うと、さまざまなことを思い出す。

(2021年3月3日)

文=西山厚

奈良で暮らし、奈良を愛してきた著者ならではの “奈良学” が満載の本書『語りだす奈良 1300年のたからもの』(西山 厚 著、ウェッジ刊)は、全国の書店およびネット書店にてお求めいただけます。

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西山厚(にしやま・あつし)
奈良国立博物館名誉館員、東アジア仏教文化研究所代表、帝塚山大学客員教授、半蔵門ミュージアム名誉館長。徳島県生まれ。京都大学大学院博士課程修了。奈良国立博物館で学芸部長として「女性と仏教」など数々の特別展を企画。奈良と仏教をテーマに、生きた言葉で語り、書く活動を続けている。主な編著書に『仏教発見!』(講談社新書)、『仏像に会う 53の仏像の写真と物語』、本書シリーズ『語りだす奈良 118の物語』、『語りだす奈良 ふたたび』(いずれもウェッジ)など

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