愛する五反田を離れるにあたって|岡田悠(ライター兼会社員)
引っ越しが好きだ。かなり好き。世のなか面白い街がたくさんあって、東京だけでも数えきれない。ふと降りた駅前が魅力的だったら、「よし、住もう」と思う。そして数ヶ月後に引っ越してしまう。そんな生活を続けてきた。すべての街に住むためには、人生はあまりに短い。
「住む街を変えれば、人生が変わる」みたいなことをたまに聞くが、その理論でいけば、僕の人生は波瀾万丈だ。
ただ引っ越し好きの僕でも、五反田という街だけは別だった。なんと8年間も住んでしまった。厳密には五反田エリア内で何度か引っ越しはしたものの、遠く離れることはできなかった。他の街から誘惑を受けても、いつも五反田に踏みとどまった。五反田の吸引力から、逃れることができなかった。
しかし昨年、いろんな事情が重なって、ようやく五反田から旅立つことになった。だからこの街を、振り返りたいと思う。愛する五反田を、離れるにあたって。
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五反田は東京の山手線「五反田駅」を中心とした地域である。駅前の猥雑さには定評があり、特に東口の繁華街には有象無象のお店が立ち並び、通行人と同人数のキャッチがマンツーマンで待ち構えている。
一方でシリコンバレーをもじって「五反田バレー」なんて呼ばれるくらいベンチャー企業が数多く入居していたり、洒落た店もたくさんあったり、その様相は単なる夜の街に留まらない。もちろん飲食店も充実しており、金夜であろうが忘年会シーズンであろうが、必ずどこかの店には入ることができる。
五反田に住み始めたきっかけは、転職した会社が五反田にあったことだ。入社した当時は社員30人くらいのスタートアップで、みんながむしゃらに働いていた。全くの異業種から転職した僕も、その一人だった。そして夜更けに退社した我々を受け止めてくれたのが、五反田の懐の広さであった。
退社したら、まずは空腹を満たすために、立ち食い寿司へ行く。『都々井』という寿司屋がむかし五反田駅の高架下にあって(現在は「五反田ヒルズ」と呼ばれるスナック街に移転した)、深夜まで日本酒を飲みながら、仕事の議論の延長戦を開催した。
あるいは『魚がし日本一』、通称「魚がし」も同じく立ち食い寿司であり、こちらも盤石の旨さを誇る。個人店のみならず、チェーン店も充実しているのが五反田のいいところだ。ちなみに僕はこの店が好きすぎて、魚がしから毎週届くクーポンを3年間記録し、翌週のクーポンを予測できるようになったことがある。
そして人数の読みにくい二次会では、『らがん』という店を活用する。ぱっと見の3倍の人数を収容できる忍者屋敷みたいな飲み屋で、いちど二次会のため社員全員でダメもとで行ってみたら、あっさり入れてびっくりした。刺身の3点盛りを頼むと8点盛りで出てくるなど、常に想像を超えてくるお店である。
そこからサクッと三次会を済ませたいなら、日高屋がいい。五反田の日高屋は店内が異様に明るいから、不要な長居を避けられる。その利便性の高さから、会社ではいつのまにか日高屋のことを「HY」と略して呼ぶようになり、社内チャットでは「HY?(日高屋に行く?の意)」「HY1H?(日高屋に1時間行く?の意)」などの暗号メッセージが飛び交っていた。
そして最後の締めは、駅前のうどん屋『おにやんま』に決まっている。最近はほかの街にもあるみたいだが、やっぱり僕は、五反田のおにやんまが好きだ。
券売機で券を買って、人0.7人くらいしか通れない狭い通路を歩いてカウンターに向き合うと、券を出す前に既にうどんが出ている。どういう仕組みなのかわからないが、古き良き佇まいの裏側で、最新のテクノロジーが稼働しているに違いない。五反田の誇る名店である。
以上が五反田の、とある夜の過ごし方であり、他にも20種類くらいのパターンがある。
もちろん、五反田のすべての店が素晴らしいわけではないから、油断はできない。どれも名前は伏せるが、コースに中華料理が出てこない中華料理屋や、店員がよく客を説教している小料理屋。駅から少し歩いたところには「最悪の店が入れ替わるビル」もあり、あらゆる肉が常に真っ黒に焦げており、高額な請求を課されてしまうから要注意だ。食べログの低レビューを回避するためか、行くたびに屋号が変わっており、それでも怖いもの見たさでたまに入店しては、焦げた肉を噛まずに飲みこんだ。刺激に飢えた時にはおすすめである。
そうやって、いろんな店がごった煮になっているのが五反田という街だ。清濁併せ呑む混沌が妙に心地よくて、うっかり8年間住んでしまった。好きだ五反田。
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ではなぜ、僕は五反田から引っ越したのか。こんなに居心地が良くて、こんなに愛した五反田を、なぜ離れたのか。
それは、8年という時間が、僕も会社も変えてしまったからだ。
僕は結婚して子どもができて、1人暮らしから3人暮らしになった。居酒屋より公園にいる時間が増えて、外食する機会もなくなった。
一方で僕の勤める会社は、30人から2000人になった。スタートアップの規模ではなくなった会社は、五反田バレーを離れ、整然としたオフィス街へ移転することになった。
僕も会社も成熟して、ついに五反田を離れる時期がきたのだ。人生のフェーズが変わったというやつである。さようなら、猥雑でエネルギーあふれる街、五反田......
......みたいなストーリーにはしたくない。
「働き盛りが飲んで騒いで、大人になったら卒業する街」として消費するには勿体ない。僕の知る五反田の魅力は、もっと底が知れない。
子どもが生まれてから、たしかに飲み歩くことはなくなった。だが酔っ払った同僚を引きずる代わりに、ベビーカーを引いて街を歩くことが増えた。そしてそのたびに、五反田の新しい側面を見つけたのだ。
たとえば、五反田の名スポット「TOC(東京卸売りセンター)」は地下街のグルメや、でかすぎるユニクロで有名だが、実は屋上こそが至高だ。初めて訪れた人は、誰もがその広さと穏やかさに、ここは本当に五反田なのか?と面食らうことだろう。
コンビニで買ったサンドウィッチを、TOCの屋上で子どもと取り分けて食べることで、時間の流れが0.5倍速になる。
不動前駅の近くにある、静まり返った「氷川神社」もいい。長い石段を、子どもの手を引きながら、少しずつ登っていく。ようやくたどり着いた頂上には、コンパクトな境内があって、手水がちょろりちょろり流れる音だけが、生い茂った木々へと吸い込まれていく。
ほかにも、最近やたらとスタイリッシュになった大崎広小路駅の高架下とか、住宅街を歩いていると突如現れる小さな公園の数々とか。目黒川沿いの、実にピースフルな芝生広場とか。
五反田の「濃さ」を知っているからこそ、そういう何気ない淡い場所が、以前より際立って見えるようになった。五反田のコントラストだ。同じ街でも、何度も噛んでいれば、違う味が現れてくる。
住む街を変えなくても、街の歩き方を変えるだけで、暮らしは変わっていく。
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とか言いながら、僕は結局五反田から離れてしまったわけだけど、それでも街から卒業したわけではない。
その証拠に、引っ越したあとも、五反田には定期的に訪れている。具体的には、五反田の歯医者にまだ通っている。神経の治療をして、奮発して高価な差し歯を入れたから、噛み合わせを定期的に確かめる必要があるのだ。ときに歯医者を変えることは、住まいを変えることよりも難しい。
歯医者の帰りには、必ず街を散策する。治療した歯で立ち食い寿司を食べたり、うどんを啜ったりする。繁華街を歩いて、ガポガポ飲んだ夜を思い出したり、小さな公園でブランコを漕いだりする。
そういえばいまの会社に入社した当時、前職と勝手が違いすぎて、もうやることなすこと全然うまくいかなくて、ショックを受けたことがあった。誰かとランチをする気力も湧かなかったから、昼休みに近くの寂れた公園に逃げ込んで、ひとり呆然としながらコンビニのおにぎりを食べたものだ。
先日歯医者の帰りに、あのときの公園へ、何年かぶりに訪れてみた。
西口の飲み屋街の裏路地を抜け、住宅街の細い道を通ると、小さな公園が現れる。ブランコと砂場くらいしかない。やっぱり誰もいない。
でも今の僕は、子どもを連れてきたら、砂場を独り占めできて喜ぶだろうな、とか思う。錆びたブランコも、キィキィと趣があって良いな、とか思う。当時の「寂れた公園」という印象は、微塵も抱かない。そうして気づく。この公園もまた、五反田のコントラストだったのだ、と。
五反田を噛んで、また噛んで。
新しい歯の噛み合わせを確かめるように、異なる五反田の味わいを、これからも噛み締めていきたい。
文・写真=岡田悠
📚岡田悠さんのご著書
『0メートルの旅──日常を引き剥がす16の物語』
(ダイヤモンド社)
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