信じる、信じないをどうやって決めるか|齋藤孝が読み解く『学問のすすめ』
≪原文≫
「信の世界に偽詐多く、疑ひの世界に真理多し。」
「人事の進歩して真理に達するの路は、ただ異説争論の際にまぎるの一法あるのみ。」
「事物の軽々信ずべからざることはたして是ならば、またこれを軽々疑ふべからず。この信疑の際に就き、必ず取捨の明なかるべからず。けだし学問の要は、この明智を明らかにするにあるものならん。」(第十五編)
あっさりと人や物事を信じてはいけない
まず、ほんとうかどうか疑ってみることだ
「信の世界に偽詐多く、疑ひの世界に真理多し」これは格言みたいで、覚えやすいですね。信じすぎるとかえって騙されてしまう。頭から信じるのではなく、いろいろなことを疑いなさい。疑うことによって真理が得られるのだ、ということです。
この世の中には、真理というものに出会うことが少なくて、意外に誤りが多いようです。
「フェイクニュース」などといいますが、いろいろな意見があっても、そのほとんどが根拠なく適当にいっていることが多いのですね。オレオレ詐欺のように、人を騙す人さえいます。
性善説的に、人のいうことは信じるのが大事だ、となんとなく思っている人が多いのではないでしょうか。ところが、これは逆に「ほとんどのことを、まず疑ってかかろう、そのほうが真理は見つかるよ」という提案なのです。
正しいものを選び出したからといって
その選択だけにしがみついてはいけない
「人事の進歩して……」以下については、「まぎる」は、「波間を乗り切る」といった意味です。いろいろな議論を戦わせる、その議論の波を乗り切っていくことによって真理を獲得せよということです。「事物の軽々信ずべからざる……」これは、信じるものと疑うものを、あやふやにするのではなく、それぞれしっかりと取捨選択する。学問はその取捨を明快にするのが要点だ、と学問の役割を指摘しています。
続けて福澤は、日本では開国以来、政府もさまざまな改革やインフラの整備をして成功してきたが、それは数千年来の習慣を疑ってみたからである。しかし、何を取り入れて何を捨てるかの取捨選択を間違えてはいけない、と注意しています。
以前は「旧習」、昔の風習を信じてそれ一辺倒となり、日本の伝統的な事物しか受け入れなかった。今度は文明開化で、西洋がよいとなると「100パーセント西洋」状態となってしまうが、それはどうだろうか。
江戸時代までのことは全部いけないという極端な行き方では、取捨選択というものがない。「オール・オア・ナッシング」ですね。そういう考えはよくないという警告です。
——ここまで3回にわたってお届けしてきました。『学問のすすめ』が約150年もの時を超え、現代を生きる私たちの心にも響く名著であることがおわかりいただけたでしょうか。もっと詳しく知りたいと思われた方はぜひ、本書をご覧ください。
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