公苑と公園|牟田都子(校正者)
そこで過ごした10年以上、ずっと「馬事公園」だと思っていた。引っ越してきたのは小学校に上がる前だったから、大人の口にする「ばじこうえん」という音を、「馬事公苑」と正しく変換することができなかったのだ。さらにいえば、「馬事」が何を意味するのかもわかっていなかった。いまなら、JRA(日本中央競馬会)が「国内における馬事振興・乗馬普及の拠点」として運営している場所ゆえの名称だと、すんなり理解できるのだけれど。
あの頃、公苑というのはどこも自分の家の庭くらいの感覚で遊びにいける場所で、あちらこちらを馬が歩き回っていて、牧場みたいなかぐわしい匂いがして、気が向けばポニーの背中や馬車に乗せてもらえるのも当たり前のことだと思っていた。そんな体験を当たり前にできるために両親が、ひとたび購入した家を手放し、通勤にバスや電車を乗り継いで片道1時間以上かかる、親子4人で暮らすにはいささか手狭な賃貸マンションに引っ越しを決めたことの重みだって、まるでわかっていなかったのだ。
週末になると、父親は子どもたちを公苑に連れ出した。夏はセミ捕り、秋はトンボ狩り。アブラゼミ、ニイニイゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクホウシ、ヒグラシの順に難易度が上がっていって、年に一度か二度、シャワシャワシャワ……という声をどこからともなく響かせるクマゼミにいたっては、とうとう一度も姿を見ることなく終わった。池の周回を線路に沿って走る列車のように正確に飛び続けるギンヤンマ。スルメに木綿糸を結びつけてザリガニを釣ったり、雑木林でお菓子の空き缶がいっぱいになるほどドングリを拾ったり。東京生まれ、東京育ちの人間にしては恵まれた体験を積み重ねてきたと思う。
だけど、ほんとうのことを言えば公苑になんて行きたくなかった。ずっと家にいたかった。家にはファミコンがあったから。
ゼビウス、ギャラクシアン、パックマン。スーパーマリオブラザーズ。そしてドラゴンクエスト、ファイナルファンタジー。勉強にもスポーツにものめりこめず、友達もいなくて、ただただ時間を持て余していたあの時代、退屈をまぎらわせてくれるのはゲームと本だけだった。一日30分までという制約がなかったらいつまででもブラウン管の向こう側の世界にいたかったし、本だって読んでいなかったと思う。どうすればコントローラーを握っていない時間にも剣と魔法の夢を見ていられるかと考えたら、本を読むしかなかったのだ。だから『ナルニア国ものがたり』や『指輪物語』も、当時勃興期だった、ゲームのノベライズを含む新しいタイプの小説、いまでいうところの「ラノベ」も、異世界への扉という意味では何らの区別なくひとしい存在だった。
雨が降るとほっとした。公苑に行かない理由ができるからだ。外で遊ぶこと、自然に触れることは「善いこと」であり、それに比べてゲームをすること、親が買ってくれず学校の図書室にも置いていない類の本を読むことは、一段下のことなのだと感じていた。もちろん、いまならまったくそうは思わない。もしも時間を遡って当時の自分に話しかけることができるとしたら、大事にしているものをうしろめたく思う必要なんて一ミリもない、堂々と胸を張っていていいんだ、といいたい。でもあの頃には、親の期待に応えられていないといううっすらとした申し訳なさがいつも背中に貼りついていた。面と向かってそういわれたわけではないから、私が勝手にそう感じていただけかもしれないけれど。
だから、公苑を望むマンションを大家の都合で離れることになったときにも、特段の感慨はなかった。自分は冷たい人間なのだろうかと思ったことを覚えている。両親のために、もっと悲しんでみせるべきなのじゃないかと。
あれから何回もの引っ越しをくり返して、いま住んでいる街には大きな公園がある。緑が豊かで、動物園が併設されていて、桜や紅葉の時季には大勢の人で賑わう。夫と2匹の猫と暮らす小さな賃貸マンションの部屋からは公園の木々が見え、よく晴れた暖かい日にベランダに出ると、動物園の匂いが漂ってくる。香ばしい獣の匂いを懐かしいと感じる。巡り巡って気がつけば両親が選んだのとそっくりの環境に戻ってきたと、傍からは見えるかもしれない。ただの偶然なのだけれど、偶然と片づけるにはよく似た環境だとも思う。
父親が引っ越してからも毎年、季節の折々に公苑を訪れていたことは、自分が当時の父親の年齢を追い越してから知った。虫捕り網を手に木の梢に目を凝らすことや、矢のように飛び去るギンヤンマを追いかけることは、彼にとっても喜びだったのかもしれない。そんなことを考えながらもう一度公苑を歩いてみたいと思いながら、未だ果たしていない。東京オリンピックのための数年間にわたる施設整備工事が、整備という言葉から想像するよりもはるかに大きくあの場所を変えてしまったとは、人づてに聞いた話だ。
文=牟田都子
人気校正者が、書物への止まらない想い、言葉との向き合い方、仕事に取り組む意識について——思いのたけを綴った初めての本。
〈本を読む仕事〉という天職に出会って10年と少し。
無類の本読みでもある校正者・牟田都子は、今日も校正ゲラをくり返し読み込み、書店や図書館をぐるぐる巡り、丹念に資料と向き合う。
1冊の本ができあがるまでに大きな役割を担う校正・校閲の仕事とは?
知られざる校正者の本の読み方、つきあい方。
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