見出し画像

旅とはイオン、旅とはジャスコだ|伊藤栄之進(脚本家・演出家)

各界でご活躍されている方々に、“忘れがたい街”の思い出を綴っていただく連載あの街、この街の第49回。演劇界で活躍されている伊藤栄之進さんです。山に登る前日に降り立った「街」のイオンに立ち寄ったときの、得も言われぬ感覚。伊藤さんの旅には欠かせない、でもだれしも行ったことがある「あの街、この街」について語ってくださいました。

別に回し者では無い。
ジャスコが既に消滅していることも知っている。
タイトルとして響きが良かったので採用したまでである。プラス、ジャスコという音には言い知れぬ何某かが内包されているような気がするので今も気に入っているというのが、有る。

誰も私のことなど知らないと思うので一応の自己紹介をしておこう。劇作家、舞台演出家、脚本家。おおよそこのいずれかに当てはまるのだと思う。

思う、というのは本人があまりピンと来ていないからだ。パンクロックをやっていたらいつの間にかそんなものになっていた、というのが本当のところで「そういう意味でも人生とは旅そのものぞよな」みたいな旅文が書けそうなものだが今回はそういうことでは無い。

旅先で出会った街についての文章を書いてくれとのオーダーだ。美文はこれまでのお歴々方が綴って下さっていると想像するので自分は自分の思う重箱の隅的旅論を展開しようと思う。それが「旅とはイオン、旅とはジャスコ」という話。ここまで読んでしまったからには最後までつきあいなさいよ。

低山ハイクを趣味としているので毎週のように津々浦々に出かけている。感覚としては津々浦々というより木々山々だが、それはまあ置いておこう。ともかく毎週のように何処かの低山に出向いているのだ。

なぜ低山にこだわるのかと問われたら、そこに「本当の日本と日本人」が転がっているのではないかという不確かな手応えからなのだが、長くなるのでそのことも置いておこう。今回は色々置く。

山へ向かうときは基本的に前のりである。目的の山に近い都市にあるビジネスホテルに泊まるのが主だ。このビジホというのも面白いもので、それこそ「旅はビジホが九割」などという新書が出せそうなほどの論考が出来そうだが、それもまた置く。

そのかわり、ケンドー・コバヤシ氏がやっている『ケンコバのほろ酔いビジホ泊』という番組がその白眉なので紹介しておく。これにその魅力はだいたい詰まっている。そしてこれもまた別に回し者では無い。

さて、ようやくここにきて核心めいたことを述べる。私自身、旅の何処に醍醐味を感じているか。

それはひとこと「夕景」であると言える。

もちろん山頂から眺める圧倒的な非日常の夕景も美しいのだが、今回はもう少し視座を日常に引き戻した場面での夕景の魅力を語りたい。
そのために必要な装置がイオンやジャスコなのだ。

年に何回も旅に出向かない人にとっては非日常こそが旅なのかもしれない。そんな人にはもしかしたらこれから私が書くことは響かないかもしれない。
確かに、毎週のように旅に向かう私にとってもはや旅という行為自体が日常に近づいている部分はあると思う。この、日常と非日常の距離こそを旅と訳せる気もするのだがそれもまた置いておこう。

では、私なりの旅の楽しみ方をお伝えしよう。

まず、旅先のイオンかジャスコ、無い場合はその土地の大型スーパーやデパートを目指して欲しい。時刻は夕方より少し前がよろしい。晩飯はその土地の飲食店で食べるので我慢して、ビジホライフを満喫するための酒やツマミ、翌日の登山の行動食などを物色する。なるべくゆっくり店内を徘徊するのが望ましい。そして、会計を済ませ、夕方の程よい時間を狙っておもむろに自動ドアを蹴破って(気持ちの上でね)外に出るのだ。

そうすると何が起きるかというと……

ぐにゃん。

ぐにゃん、とするのだ。
いや、マジで。

本当はこの「ぐにゃん感」を体感して頂きたいので野暮なことは書きたくないのだけれど、ぐにゃんで結んでは許されなさそうなので、以下は自分なりの解析解説を含めた蛇足文だと思って読んで欲しい。
まさに蛇足だ。駄文だ。蛇文だ。蛇駄だ。ダダ。

旅先に辿り着いたとき、その人にとってその土地は既に非日常である。旅人、異邦人、ストレンジャー、エトランゼ。そんなものを纏っている。その上で、イオンやスーパーマーケットという日常に近い場所に参加する。私の感覚としては「紛れ込む」が近い。少々乱暴だがイオンやスーパーは全国何処でも大同小異なので(この小異がまた面白いのだが、置く)割と簡単に日常に引き戻されると思う。

気の早いこまっしゃくれた演劇人なら「ああ、なるほどね。非日常の旅先で日常的なスーパーに入って、外に出たらいつもと風景が違う非日常だから驚いてぐにゃんなのね。ある種の異化効果ね。ブレヒトね」と言うだろう。ぶっ飛ばしてやりたいがもちろんそれもある。
それもあるが、それはぐにゃんを構成する要素の一つでしかない。

ぐにゃんの装置であるイオンやスーパーについて考えてみよう。誰しも子供の頃に、家族に手を引かれて連れてこられたことがあると思う。
無い人は、なんかごめん。それでも、どんな人にとってもスーパーは「生活」の場であることは共通だと思う。「生活」イコール「日常」というのは暴論とまではいかないであろうからそんな感じで話を進める。つまり、イオンやスーパーは過去に(色濃く)体験した生活の場であるということが言いたいのであるよ。

「いや!俺の原風景は商店街だ!スーパーなんか嫌いだ!」
中にはそんな人も居るだろう。実は私にとっての生活の原風景も商店街なので、その手の異論は当てはまらないのでガン無視して進める。場所、よりもこの場合は体験、の方が重要になってくるからだ。

幼い頃、夕景、家族との買い物、食材のにおい、家路、等々。そういったノスタルジーを多分に含んだ要素がイオンやスーパーにはある。

実際、当時の自分と同じ年頃の子供が家族と共に楽しそうにしているの様子が視界に入るだろう。家族連れでなくても、独り身であっても、これから家路につこうとしている人々のそれぞれの思いがスーパーにはこぼれている。それは過去に体験した風景でもあるだろうし、現在進行形の風景でもある。
買い物よりも感じることを目的にイオンに紛れ込むのだ。
感じるままに感じ、思い出すままに思い出そう。そして、その思いを抱えて外に出て夕景を浴びると、

ぐにゃん。

そう、ぐにゃんは時間軸までもをぐにゃんとするからぐにゃんなのだ。

日常のような非日常のような、
過去のような現在のような、
子供のような大人のような、
主観のような客観のような、
幸福のような寂しいような、
安堵もあり不安もあり、
此処が自分の居場所のようにも思えるし
異邦人のようにも思える。

逢魔時。
誰そ彼時。

つまり、

ぐにゃん。

さて、ぐにゃんについて述べるのはこれくらいにしておこう。わからない人にはわからないかもしれないし、そもそもわかってもらおうとも思ってはいない。しかしながら少しでも興味を持ってもらえた人のために手軽にぐにゃんを体感出来る方法をお伝えして筆も置こう。

自分の住んでいる土地でも良いが、出来れば一駅くらい離れた土地のビジホに泊まって先述した段取りで実行してみれば、ぐにゃんは可能である。
旅情は一駅でも体感出来る。

それでは最後に、
せーの!

ぐにゃん。


文=伊藤栄之進

伊藤栄之進(いとう・えいのしん)
1980年生まれ、千葉県出身。高校卒業後、Spacenoidを本格始動し2010年の解散まで同集団の脚本・演出を手掛ける。 2018年にSpacenoid Companyを設立、俳優・クリエイターのマネジメントを開始する。 2020年8月27日より、御笠ノ忠次の名義から本名に戻して活動している。
近年はオンライン脚本塾「伊藤栄之進の寺子屋」を継続的に開催し、クリエイターの人材育成に尽力している。
主な作品に、ミュージカル『刀剣乱舞』シリーズ(脚本)、舞台「幽☆遊☆白書」シリーズ(脚本・演出)、日本の演劇人を育てるプロジェクト「中島鉄砲火薬店」(脚本・演出)、TVアニメ「東京喰種-トーキョーグール-」シリーズ(構成・脚本)などがある。
HP(Spacenoid Company):https://spacenoid.jp/
Instagram:https://www.instagram.com/noshin0724/
X(旧Twitter):https://x.com/noshin0724
note:https://note.com/noshin0724

▼「あの街、この街」のバックナンバーはこちら



いいなと思ったら応援しよう!

ほんのひととき
最後までお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、ウェブマガジン「ほんのひととき」の運営のために大切に使わせていただきます。