人質は状況に合わせて取るものだ|『超約版 家康名語録』より(4)
人質は状況に合わせて
取るものだ
『武功雑記』
家康の時代に始まり、江戸幕府の安定を支えたと考えられるものに証人(人質)制度がある。家康自身も織田や今川の人質だったことがあるのは既に見た通りだ。また、豊臣政権時代にも諸大名らの妻子を人質として取っている。江戸幕府もこのやり方を踏襲し、諸大名とその重臣は妻子や子弟を江戸へ送らせた。
その後、重臣の人質は取らなくなったが、大名の妻子は引き続き江戸に住むことになった。この制度が崩れたのは幕末、文久の改革で参勤交代が緩和された時のことで、幕府が諸大名を押さえ込む力を失っていることを満天下に示すことになったのだ。
さて、この人質制度について、家康が面白いことを言っているエピソードがある。曰く、「人質は状況に合わせて取るものだ。ずっと人質に取り続けていると、親子の間の情も薄れる。そうすると、人質としての価値は下がっていくものだ」というのだ。
人質にはいろいろな意味合いがあるが、大名にとって一番大事な家族を押さえ込むことで反逆させない、という意味は特に大きい。しかし、離れてしまえばその家族の関係は薄まる、だから人質の取りすぎはよくない、という。
実に鋭い指摘である。江戸幕府の場合、大名が参勤交代をするから定期的に妻子と会い、情を取り戻すことになる。そこまで計算していたのだろうか。
文=榎本 秋
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